2011年7月7日木曜日

父の起業(ただし未遂)


もう昨年のことですが、Twitterのやりとりで思い出したので書いておこうと思います。
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父は仕事を引退してから、ふぬけていた。

父よりかなり前に看護婦の仕事を定年でやめていた母は、ボランティアを始めたり、趣味のちぎり絵や手芸をやったりしてそれなりに楽しそうに過ごしていたが、父はあまり出歩かず家でテレビを見ているばかりだった。
健康にも気を遣わず、時折「何のために生まれたかわからない」などと言うこともあったという。

父は元国鉄職員だ。
元、というのは未成年のうちから30年以上働いた国鉄を民営化の際に退職し、以後は70過ぎまでビル管理員などをやっていた。
父の一家は戦中に移住先の満州で父親(僕の祖父)を病気で亡くし、ソ連兵に追われて命からがら日本に帰ってきた。
大黒柱をなくした一家は貧しく、父は家計を支えるため高校を中退して国鉄に就職したのだった。

父は僕が公務員になることを希望していた。
あの国鉄でさえああなってしまったのだから、安心できるのは県庁か市役所くらいしかない、というわけだ。
それがよりによって起業など、ということで、僕はオプトに入る前に一時期勘当状態にあった。
社長の鉢嶺が僕に内緒でとりなす手紙を父に送ってくれたりして勘当は解けたが、とにかくまあ、そういう性格だ。

仕事人間、ではない。
仕事人間ではないが、働いていることは彼の重要なアイデンティティだったのだ。

さて、と考えた。

起業させよう、と思った。

なぜ起業か。
もちろん趣味やボランティアでも良いのだが、父は起業が一番熱中できると思ったのだ。
なぜなら、僕がそうだったから。
(まあ僕は趣味にも打ち込んでますけどねw)

ともあれ僕が考えたのは、ランチタイムだけ営業する小さな定食屋か移動店舗だ。
父は僕と同様料理が好きで「余裕があれば飲食店をやってみたかった」と言っていたことがあった。
メニューを思い切って1〜2種類に絞って売り切れたら営業終了という形にすれば経営はシンプルだし、うまくすれば繁盛すると思った。
僕自身も実は飲食店経営に興味があったということもある。

男の親子というのは、どうも話すだけだとついお互いぞんざいな口調になって無用に衝突することも多い。
僕は簡単にパワーポイントに提案をまとめ、出張の帰りに静岡の実家に寄って話を持ちかけてみた。

無理だ、というのが父の反応だった。
体力的にもきついし、不動産屋を回ったり免許をとったり、やることが多すぎて自信がない、と言う。

つまり「嫌だ」ではなく「興味はあるが自信がない」ということだ。
僕は話を続けた。資金は僕が出す、何も何千万もかけて勝負しろと言ってるのではなく数百万で始めて、資金が尽きたらすっぱりやめればよい、元気なうちにやってみたらきっと楽しい。

二週間後に返事があった。
ありがたい話だが、やはり起業はしないという。
60代だったら一も二もなくやっていたと思うが、もう70代も半ばではさすがに無理がきかない、気楽にやれと言っても自分の性格上店を潰さないよう根を詰めてしまうだろうから母にも迷惑をかけてしまう、云々。

二週間の間に、父なりにいろいろ調査したようだ。
必要な届出や資格取得のため方法、静岡の不動産の賃料相場、街に出かけて実際の店を偵察して回ったりもしたらしい。
手書きの損益シミュレーションは、元上場企業CFOの僕wwwから見てもなかなか緻密でよくできていた。

普通に考えたら突拍子もないともいえる提案に拒絶反応を起こすことなく、先入観なしにリサーチを進めて結論を出したことに、やるじゃん、と思った。

こうして父の起業は未遂に終わったが、以降、父は格段に元気になった。
ウォーキングを始めて日焼けし、かなり体重を落として健康的になった。今がこれまでで一番体調が良いらしい。

やはり起業というのは、小規模でも、例え未遂に終わったとしても、人を楽しく、エナジェティックにさせるのだ。

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用意していた起業資金は、両親の旅行資金としてプレゼントした。
二年続けて夫婦で北海道に行ったり、親戚を温泉に招待したり、楽しく遣ってくれているようだ。

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写真は安曇野・有明神社。


2 件のコメント:

CWF さんのコメント...

自転車を勧めてはいかがですか?
イルカの一番のファンになってくれることと思います。
親不孝ばかりで、早くに両親をなくした私にとってはなんともうらやましい話です。

まほんぐ さんのコメント...

心から感動しました。提案自体も斬新だし、お父様の姿勢もスゴいです。あざます。