2008年8月5日火曜日

iPhoneの本質、irukaの本質


iPhoneについてです。

アップル製品をこよなく愛する僕ですが、今のところiPhoneは静観の構え。
ほしいけど、電波感度悪いとか、Safari落ちるとか、巷で言われる基本的な問題点が改善されてからでいいかなと。

ただ、どうなんだろうなー、すばらしい製品であることは間違いないが、正直言って僕にはまだiPhoneの本質的な価値が理解できていない。

例えばiPod。
iPodの本質的な価値とは「持っている音楽を全て持ち歩き、容易に再生できること」であろう。
これにより、我々ユーザーは「好きなときに好きな曲を聞けるライフスタイル」が可能になった。

・小型HDDなど大容量記憶装置 =小さな筐体に膨大な音楽を記録する
・iTunes =膨大な音楽リストを整理する
・スクロールホイールUI =膨大な音楽を直感的に操作再生する

といった機能は、本質的な価値を実現するための手段でしかない。
逆に言えば、ユーザーが価値を享受できれば機能は何でもいい。

iPhoneはどうか。

・他の携帯電話にはない大画面
・世界初のマルチタッチUI
・MacOS X+フルブラウザ搭載
・iPodも兼ねている
・世界の開発者が続々と対応アプリ開発中

といった、機能的な特徴はよくわかる。
だが、機能は手段でしかない。
これらの機能によって実現される、本質的な価値は何なのか?
ユーザーはどのようなライフスタイルが可能になるのか?
・・・わかんないんすよ。

誰か合理的な説明があれば教えてください。
そしたら迷わず買える(笑)。

ひるがえってirukaたん。
走行性能、折りたたみ機構、折りたたみサイズなどはあくまでも機能。
その本質的な価値は・・・まだうまく短い文章に落とせてなくてちょっと焦ってます。

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写真はゼップ東京からの帰り道、ビッグサイト近くの橋の上から東京タワー方向を望む。
僕にとって湾岸エリアはオプト時代の全社イベントの記憶に直結していて、夜通ると少しおセンチな気分に。
おセンチ・・・昭和か(笑)。



2008年8月4日月曜日

成功本の罠


前回の成功本に関するエントリを書きながら、ここ数年で目にしたベンチャー成功本を思い浮かべて気づいた。

「経営者が成功本を出したベンチャー企業は、その後下り坂になる」

成功本の定義は以下:

 上場ベンチャー企業社長など社会的に「成功者」と呼ばれる人々が
 「オレが成功した秘訣」を
 半生記と自社の紹介を交えて書き上げた本

名前を挙げるとアグレッシブ過ぎるので控えるが、IT、飲食、結婚サービス、アパレル、人材、不動産・・・経営者が成功本を出した上場ベンチャー企業は、僕が知るかぎり、出版後に業績も株価もピークアウトしている。

まあ例外もあるだろうが、概ね誤ってはいないと仮定して、そのメカニズムを考えてみる。

1. 自信過剰
そもそも「本を出しませんか」などと言われて乗り気になるときというのは、経営者が自信過剰になっているときではないか。
己を過信して判断が甘くなっているのか、本を出した前後に大型のM&Aに乗り出して失敗、という例が散見される。

2. 名誉欲の発現と事業への情熱の低下
同じく、本を出そうなどと思うときは、名誉欲が出、相対的に事業への情熱が弱まっているのではないか。
ベンチャー経営者は総じて非常に忙しい。本来であれば、本を書くような暇はない。

3. 社員のマインド
先の二点を感じ取った社員の反発もあると思う。
成長企業というのは例外なく問題だらけである。オプトでもそうだったが、これはネガティブなことでもなんでもない。成長は必ず問題を伴うので、成長を続ける企業には常に問題はなくならない。成長企業の証のようなものだ。
しかし、成功本を読むと、その会社は何一つ問題ない理想の職場のように書かれている。活気があって、風通しもよく、夢を共有して全員いきいきと働いている、そしてその理想の職場を作ったのはオレ(経営者)だぜ、と。
しらける社員も少なくないだろう。「社長は現場を知らない」「なに満足しちゃってるの」「全部自分の手柄かよ」と。

最近、まだ上場もしてないのに(上場=成功ではないけど)、成功本を出しちゃう経営者も目にする。
たぶん何一ついいことはない。

でも、書きたい気持ちもよくわかるんですけどね。オレ様本書くのって気分いいもの。
僕にはまだオファーはないですが、オファーが来ても我慢して断れるか・・・。
って自意識過剰か(笑)。

追伸
オプトCEO・海老根の著書は成功本じゃないです。学びのある、いい本です。
会社を替えても、あなたは変わらない

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先週金曜の夜は前職オプトの全社イベントに行ってきました。
前半はどうなることかと思ったけど、最後MVP発表にはきっちり泣かされた。
懐かしい顔にいっぱい会えて楽しかったけど「OB風吹かせてる面倒な先輩」みたいに思われてないかな・・・。
写真は自転車でゼップ東京に向かう途中、橋の上から。



2008年7月29日火曜日

成功本 vs 失敗本


<書評>なんてタイトルのエントリを書くと、前職の後輩などから「おススメ本を教えてください」と言われる。
それでふと思った、というか前から思ってたのが、いわゆる「成功本」って、テンションは上がるけど、成功するためのノウハウ習得にはあまり役に立たないよな、ということ。

ここでいう成功本とは

 上場ベンチャー企業社長など社会的に「成功者」と呼ばれる人々が
 「オレが成功した秘訣」を
 半生記や自社の紹介を交えて書き上げた本

のことである。

誤解なきよう言っておくが、成功本の「テンションが上がる」という効能は、それだけで非常に貴重にして重要である。
何事もやる気ときっかけが最も大切、というか全てと言ってもいい。

その上で、冒頭の趣旨に戻る。
まあ僕も本好きな人生を送ってきて、そこそこ多くの成功本を読んできたけど、まず第一に、成功の秘訣という奴はもう千差万別なのである。

ある成功者は「執着心が第一」と言い、ある成功者は「あきらめが大事」という。
ある成功者は「綿密に準備してから取りかかれ」と言い、ある成功者は「走りながら考えろ」という。

例を挙げたらキリがないが、要するに成功のノウハウにはパターンがない。
言えることは、成功に至る道は無限にあり、「自分に合ったやり方を選んだ者がゴール(成功)にたどり着ける」ことなんだと思う。
さらに、とかく成功本を書こうなどという人は総じて自己顕示欲が強い人種だから、成功につながった要因かどうかの因果関係を考慮することなく自分の習慣やモットーを書いてしまうからタチが悪い(笑)。
「毎日水風呂に入る。それが成功のカギ」「高い靴を履け。それが成功への階段」みたいな。

逆に、テンションは下がるけど学習効果が高いのは「失敗本」だろう。
ベンチャー失敗本の代表作といえば、この2冊か。

板倉雄一郎氏(元ハイパーネット社長)の「社長失格」
松島庸氏(元クレイフィッシュ社長)の「追われ者」

いずれも読後は暗い気持ちになるが(笑)、教訓は明確で記憶に残る。

・ベンチャーは主に銀行借入で新規事業を立ち上げるのは避けるべし
・身の丈の生活をすべし
・企業力を超えた戦線拡大は避けるべし
・資本政策は一度やったら後戻りできない、慎重を期すべし

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(現楽天監督・野村克也氏の言)である。

なんだけど、世の中成功本の方が圧倒的に多いですね。成功本:失敗本=99:1くらいか。
まあ読み手はテンション下げるより上げたいよね。
それに書き手も自分の失敗よりは成功を書きたいわな。

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写真はガンジス河岸の壁に大書されていたガネーシャの絵。
このガネーシャ、父であるシヴァ神が子と知らずに首を切り落として投げ捨て、後で子と知り首を探しに行ったが見つからず、やむなく象の首を切って頭部として取り付け復活させた、というのが由来らしいです。むちゃくちゃですな。


2008年7月25日金曜日

<書評>ブランドは広告でつくれない


今回は書評です。
尊敬するアル・ライズ師匠の著書。
オプト在職中に読んでいなかったアル・ライズ本があるのは不覚というかお恥ずかしい話だが、この本もやばかった。

「ブランドは広告でつくれない 〜広告 vs PR〜」(翔泳社)



広告業界にいた身にはアグレッシブなタイトルだが、内容には大納得。
まとめると以下か。

・ブランド確立とは消費者のクレディビリティ(信頼性)を得ることである
・今日の消費者は広告を信用していない上、広告の数が増えすぎて注意も払っていない
・したがって、もはや広告には「クレディビリティを得る=ブランドを確立する」という機能はない
・クレディビリティを得るのはPR(パブリシティ)である
・PRでブランドを確立し、その後、広告でブランドイメージを「守る」べきである

「広告はそれ自体のクリエイティビティを競うアートの一種に変質してしまい、巷には賞をとったり話題にはなったが商品の売上には貢献しなかった広告が溢れている」というくだりには思わず膝をたたいた。
例えば、最近どこかのブログで紹介されてて見たこのCM、競輪を人生に例えたストーリーでめちゃめちゃ感動したんだけど、競輪の売上が伸びるとは思えない。少なくとも僕は競輪場に行こうとはまったく思わなかった。逆に人生を競輪に例えている感じ。
「別にこのCMで売上が伸びなくても、感動を与えたからいい」というのであれば、それこそまさに「アート」だ。



ネット広告業界の人たちには、広告でクレディビリティを得る新たな手法を開発してほしいと強く思うが、まあそれは本職の人たちに任せるとして、irukaたんのPR戦略を全力で考えます。

古巣オプターのみなさん、特に広報IR部員、コミュ開部員、新規事業やろうとしてる人、読んどいた方がいいです。OBより。

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写真はベナレス駅ホーム。
灯りが少なく、漆黒といってよい暗さ。
写真には写っていないがホームに牛がいた。インド人、割と牛を邪険に扱うんだよね。牛が近づくと「しっしっ」て感じで、意外だった。



2008年7月24日木曜日

熱帯夜とハイヤー


暑い。暑いよ。
昼間暑いのはまだ納得感があるというか、夏って感じでポジティブにも考えられる。
熱帯夜だけなんとかならんか。

東京における熱帯夜の日数は年30日以上と1970年代に比べて倍以上に増えている
まずいでしょ。

夜自転車で走っていて非常に気になるのが、停車中のタクシーとハイヤー。

例えば外堀通り神楽坂下交差点の手前など、毎晩常に数十台のタクシーが客待ちのふりをしてアイドリング&冷房ガンがけで休憩している。
中には車を降りて話し込んでいる運転手もいる。
横を通ると排熱の暑さで気が遠くなる。その上、通行の邪魔で危険。
取り締まれよ、警察。

あとは赤坂の料亭街。
毎晩多くの黒塗り車が店の前でアイドリング&冷房ガンがけで待機していて、通るとひどく暑い。
料亭で会食って2-3時間はかかるでしょ。運転手さんは車中でぼーっと待ってるわけで、時間の無駄・ガソリンの無駄・環境汚染、といいことは一つもない。

冷房つけるなと言うのは運転手さんに酷な話。
ハイヤーなくせって言うのも極論だとは理解していて、セキュリティ面など政治家や企業経営者にとってハイヤーのメリットは確かにあるだろう(それほどでもないとは思うけど)。

そこで提案です。
シェアドハイヤーというのはどうでしょう。
同じ会社、同じ政党などの中で、複数の利用者で複数のハイヤーを共有するのです。
(もうあるかな?)

通常ハイヤーというのは客と車&運転手が1:1の関係。
それを、客:車&運転手=n:n、客>車となるようにし、極力待機時間がないように回し使うのだ。
そもそもハイヤーの稼働率は非常に低いし、「専務になると専用車を持てる」なんてのはただの見栄でしょ、と。

もっとも僕は「専用車で運転手と気脈が通じること」のメリットは理解できていない。
例えば、

運転手「社長、今日はお忙しかったでございますね」
社長 「ああ、疲れたな。。山口君(運転手の名前ね)、今日は、」
運転手「わかってございます、麻布でよろしいですね」
(と、複数いる愛人の中から癒し系の愛人宅に車を走らせる)

なんていう阿吽の呼吸の付加価値がどれほどなのかはわからない。

・・・なくね?

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写真は夜のベナレス駅。
タジマハールのあるアグラまで夜行列車で移動した。
薄闇の駅構内は床に寝転がったり座り込んで列車を待つインド人でごったがえし、足の踏み場もない状態。
夢の中にいるような感覚だった。


2008年7月22日火曜日

夏休みと仕事の境目が曖昧なことについて


海の日がらみの3連休は、波乗り(ボディボード)のため海におりました。
夏の御宿海岸は海水浴エリア規制があるので日中の波乗りは激混み。
僕のようなヘタクソはなかなか波がとれない。
よって日の出と日の入りの時間帯(朝4:30~と夕方19:00前後)を狙って入る。
すいてる上にちょうど波も良くて、大満足。
特に日の入り前後は海と空が同じ色に溶け合っていくような、素敵な光景を見ることができる。ちょっと宗教的ですらある。

今日は朝6:30からテニスやって出社。
明日はテニスの試合に出場、35才以上シングルスという年齢別大会に初トライ。昔は14才以下とかに出てたのになー。

ってちょっとリラックスしすぎか、と少し気になるときもあるが、ルーティン業務なし+社員ゼロ=時間を100%自由にできる貴重な時期なので、まいっかと。夏だし。

まーそれに、
今進めてるirukaの設計は、結婚式後の飲み会でソムリエナイフを見ていて折りたたみ機構を思いつき、旅行でインドに向かう飛行機で全体構造を思いついてsick bagにスケッチを書いて生まれてきたもの。
ブレイクスルーのアイデアはむしろ遊んでいるときにこそ生まれる・・・と自己正当化して、今週も海行っちゃおっと。

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写真はインド、街中に建っている神様の像。
街角で「地球の歩き方」のヒンズー教の神様を紹介するページを開いていると、インド人がわらわらと集まってきて「やっぱシヴァ最高だよね」「いやいやカーリーでしょ」みたいな感じで「オレの好きな神様」談義が始まる。
ちょっと理解しがたい感覚だが、あえて言うと30代後半日本人男子の「オレの好きなモビルスーツ」談義と同じか。
違うか。


2008年7月17日木曜日

自転車通勤、そして都市の美観


「以前は気づかなかったけど、自転車通勤を始めて気づいたこと」その2。

いや、前からわかっていたことだが、再確認したという方が正しいか。
自転車移動は、平均時速15km。街の風景を、自動車移動よりじっくりと、徒歩移動より長い距離を連続して見ることになる。

結論、東京は美しくない。

「東京ってキレイじゃないよね」と言うと、「海外の街より全然キレイでしょ」と返されることが多い。
言い方が良くなかった。
確かにCleanではある。ゴミも散乱してないし、廃墟みたいなエリアもない。
だが、Beautifulではないのだ。

安普請で調和のないビルやマンション、毒々しいネオン、通りに張り出す派手なだけで汚い看板、などなど。

昔から石造都市が基本であったヨーロッパ諸都市と比べ、由来が木造都市かつ空襲を経験した東京(江戸)に、歴史的な古い街並みが少ないのはしょうがない。
戦後の高度成長期は美しさなんかよりまず成長という時代だったろうし、そのおかげで今の日本があるのも理解している。

ただ、なんというか、街づくりのポリシーとか思いが皆無のまま、誰も「こんな街にしたい」とは願っていない街が生まれてしまったのだと思う。

「美しさ」は主観なので、街の美しさにも世界統一基準はない。
ヨーロッパの都市のように統一感がありさえすれば良いというものでもないだろう。
が、結局のところ都市は人のための存在なので、人々の思いが形になっている街は、時に迫力を伴って、美しいと思う。

日本の世界的な地位低下が言われて久しいが、もう成長はいいじゃん。成熟でいいじゃん。100年かけて美しい街をつくって、豊かに暮らせる国をめざさね?と思うのだが、どうか。

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写真はインドのヒンズー教の聖地ベナレス、ガンジス河岸。ガートと呼ばれる沐浴場と極彩色の建物が並ぶ。
Cleanではない。というか、Cleanの真逆。牛の糞とゴミだらけだし。
でも、Beautifulなんだよなー。