2011年4月26日火曜日

論点は『原発 vs 自然エネルギー』ではない



原発論争が盛んです。
先週ソフトバンク孫正義社長が「東日本ソーラーベルト構想」で脱原発を提言するに至って、さらに議論が盛り上がって来ました。

これまで僕は、脱原発の論点は「原発 vs 自然エネルギー」だと思っていました。
原発をやめて、太陽光や風力など再生可能な自然エネルギーに切り替えようという議論だと。

でも、それはどうやら違うと思い至りました。
真に論ずべきは「原発 vs 火力」なのではないか、というのが今の僕の認識です。

原発と自然エネルギー、同じくらいのコストならどちらがいいですか?
自然エネルギーに決まってますよね。原発は今回明らかになったとおり放射能汚染のリスクがあります(リスクの大きさの議論は置いておいて)。
火力発電(石油・石炭・天然ガス)と自然エネルギーではどうですか?
やはり自然エネルギーですよね。火力は温室効果ガスを出しますし、日本は資源輸入国ですから常に地政学的なリスクが伴います。また、そもそも石油も石炭も有限で、いつ尽きるかわかりません。

自然エネルギーのコストに関しては諸説ありますが(孫さんは現時点でも太陽光の方が原子力より安いと主張されています)、僕はコストに関しては重要ではあるものの本質的な問題ではないと思っています。

自然エネルギーの最大にして最も本質的なボトルネックは、その不安定さです。

太陽光は曇りや雨の日はほとんど発電してくれませんし、風力も風がやんだら使えません。
さらに、日本の国土というのは、どうも太陽光発電にも風力発電にも適しているとは言いづらいようです。
雨が多く太陽光発電の稼働率は平均12%ですし、山間部が多く平野部の人口密度が高いので風力発電に適した土地も少ないようなのです。*1
(例えばスペインは既に全電力の2割を風力で賄っていますが、非森林地の面積が日本の3倍で人口は3分の1と、風力発電に適した「人里離れた平地」が日本の10倍近くある計算です)

全国的に雨の日が続いたので電力不足で病人が死んじゃいました、とか、風が吹かないので工場を動かせず倒産しちゃいました、なんてことが続いたら大問題ですから、対策を考えなければなりません。

ビル・ゲイツに聞いてみましょう。
ゲイツは、マイクロソフト引退後は自分の財団で医療や教育と並んでエネルギー問題にも積極的に取り組んでいます。
彼の答えは明確です。

「太陽光や風力が発電できない間エネルギーを得るための、別の手段が必要だ。太陽光や風力は総発電量の20-30%が上限となるだろう。そこで自分は原発を選んだ」(ビデオの11'13付近)

今よりも効率的かつ安全な原発を開発し、自然エネルギー+原子力エネルギーでCO2ゼロ社会を実現しようというのがゲイツのビジョンなのです。




一方、日本の雄・孫さんはどうか。
氏は明確にこうおっしゃっています。

「雨が降ったら発電できない。そういうときは石油や石炭を燃やせばよい」(ビデオの44'20付近)*2










「原発推進派のゲイツと原発反対派の孫さん」という対立の構図で捉えがちですが、実は、自然エネルギーを最大限活用すべきという点、自然エネルギーに100%依存することは(現時点では)不可能と考えている点は完全に意見が一致しています。
異なるのは、自然エネルギーで足りない分・自然エネルギーの不安定さを補う分の電力をどう賄うか、です。
その方法を、「CO2ゼロ社会」をビジョンとするゲイツは原子力で、「脱原発社会」をビジョンとする孫さんは火力で、と言っているわけです。

太陽光+風力で電力需要の30%を賄うとして、ゲイツと孫さんのビジョンをそれぞれ反映すると、日本の電力構成は以下のようになるでしょう。



言い換えると、ゲイツ案は「温暖化を防ぐために原発リスクを許容する社会」、孫さん案は「脱原発のために温暖化リスクを許容する社会」ということです。
非常にデリケートで難しい問題です。

ところが今世間でなされているのは「原発か自然エネルギーか」という議論ばかりです。
自然エネルギーを強化することは、誰も反対しません。僕も自宅に太陽光発電ユニットを入れています。東日本ソーラーベルトもやればよいと思います。
いつの日か、蓄電技術、R水素などエネルギー保存技術、宇宙太陽光発電などでブレイクスルーが起こって自然エネルギー100%社会が実現するでしょうし、実現すべきです。
ただ、真の問題は、そうなるまで(期間はわかりませんが、最短でも20〜30年か)、火力をやめて(または減らして)原発を使い続けるか、原発をやめて火力を使い続けるか、ではないでしょうか。

僕ですか?
申し訳ないですが意見保留です。
今の心理状態では脱原発と言ってしまいそうですが、それでいいのかと。
これから中国やインドなどの電力需要が増える分(中国は2025年までに電力需要が4倍に増えると予想されています)火力発電が増えたら地球はどうなるのかと。かといって「日本は原発怖いから火力使うけど、あなたがたは温暖化防止と化石燃料節約のために原子力使ってねー」と言うのはどうなのかと。身勝手ではないかと。

悩ましいですが、少なくとも軽々しく脱原発とは言えない、というのが今のところは精一杯です。

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前回白状したとおり僕はこれまで電力問題に関してほぼ無知・無関心でした。今回書いた内容も率直に言って付け焼刃です。
もし事実誤認などありましたらご指摘いただけたらうれしいです。
コメント欄か、Twitter @masakikoba までお願いします。

*1
環境省が「日本には風力発電で原発7〜40基分を賄うポテンシャルがある」と発表しましたが、「平均風速5.5m/s以上」の地域の面積から発電可能量を算出しており、「発電できない時間帯(風速ゼロに近い時間帯)」がどれほどあるのかには触れていません。ここはぜひ知りたい。

*2
Twitterなどを見ると、どうも孫さんが「原発を即時全廃して自然エネルギー100%に」と主張していると勘違いしている人が多いようです。脱原発といっても古くなった原子炉から順次廃炉にすべきと言っているのですが。

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写真はアイスランド、世界最大の露天風呂ブルーラグーン。


2011年4月12日火曜日

ずっと無知だった


ミュージシャンの斉藤和義さんがYouTubeとUstreamで披露した「ずっとウソだった」が話題ですね。



有名アーティストが社会的リスクを省みず自己の考えを主張するという行為は、心から素晴らしいと思います。
もし僕が氏の立場でも(もちろん僕にはそんな音楽の才能はありませんが)同じことができるか、と言われたら自信がありません。
かっこいい、の一言です。

その上で、僕は「ずっとウソだった」の歌詞には全く共感しません。

1986年のチェルノブイリ事故以来、日本だけで10件近くも原子力発電所での事故が起こっています。
特に1999年の東海村と2004年の関西電力美浜発電所の事故では死者も出ていますし、最近では2007年の中越沖地震による柏崎原発の事故で放射性物質が漏洩するとともに、首都圏の電力不足が喧伝され、大変な問題になりました。
そのたびにメディアでも原発の安全性を問う議論がなされてきました。

議論する時間も、そのための情報もあったわけです。
それを今になって「ウソだった」「騙された」と言うのは、単に無知だった、無関心だっただけじゃねえの? 虫がいいんじゃねえの? と思うのです。

はい。僕は無知でした。無関心でした。他人ごとだと思ってました。
日本に原子炉が54基あることも、原子炉の構造も、放射性物質の性質も、知ろうと思えば簡単に知ることができたのに、知りませんでした。知ろうとしていませんでした。
夏に冷房を使わなければ原発もいらなかったのに(原子力は日本の電力の3割を発電していますが、夏の消費電力の3割は冷房なので、冷房を一切使わなければ原発をやめることができます。耐えられれば、ですが)知らないふりをして冷房を使ってました。

というわけで、「ずっとウソだった」の替え歌を作ってみました。
一応字数を合わせてメロディーに乗るようにしてるつもりですw
ところどころムダに韻もそろえてみましたwww

元ネタ「ずっとウソだった」
替え歌「ずっと無知だった」
この国を歩けば
原発が54基
最近知りました
原発が54基
教科書もCMも言ってたよ
「安全です」
新聞も雑誌も言ってたよ
「危険かも」
俺たちを騙して
言い訳は「想定外」
無関心だったのに
言い訳は「騙された」
懐かしいあの空
くすぐったい黒い雨
警告も上の空
無視してたい、暑いから
ずっとウソだったんだぜ
やっぱばれてしまったな
ずっと無知だったんだぜ
知ろうとしてなかったな
ホントウソだったんだぜ
原子力は安全です
ホント無知だったんだぜ
原子力はわかりません
ずっとウソだったんだぜ
ほうれん草食いてえな
ずっと無知だったんだぜ
報連相あったのにな
ホントウソだったんだぜ
気づいてたろ、この事態
ホント無知だったんだぜ
知らなかったろ、シーベルト
風に舞う放射能は
もう止められない
被害者意識からは
何も生まれない
何人が被曝すれば
気がついてくれるの?
この国の政府
何人か死んでたのに
気がついてなかったの?
この国の僕ら


お粗末さまでした。

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写真は雪降りしきるアイスランド南海岸。


2011年4月8日金曜日

豊かさと原子力


震災後、東京でもスーパーやコンビニなどで品不足が発生しています。
ガソリンや水は群衆パニックによる一時的な不足でしたが、納豆やビール、牛乳など工場が被災したため生産量が落ちて品不足になっている商品も多いと認識しています(紙やインクの不足も表面化しているようです)。

空になった陳列棚を見て北朝鮮や旧ソ連を連想し、暗澹たる気分になった方も多いでしょう。
普段なかなか実感することはありませんが、豊かさとは結局のところ生産能力です。
生産能力が落ちると、国は貧乏になります。

ある日朝起きたら、あらゆる店舗で商品の数が10分の1に減っていたとしましょう。
ほとんどの棚が空に近い状態です。
みな昨日までと同じように買い物したいのに、商品は10分の1しかありません。
ほどなくして、全ての商品の価格が10倍前後まで上がります。
となると、昨日まで100万円の現金を持っていた人は、今日も現金100万円を持ってはいますが、実質は10万円まで財産が減ってしまったことになります。
今日からは100万円払っても、昨日までの10万円分に相当する商品しか買えないからです。

単純かつ極端に書いていますが、北朝鮮や旧ソ連で起こったのはこういうことです。
最近の日本は将来への不安などのため需給ギャップマイナス状態が続き、豊かであるとは実感しづらい状態でしたが、生産能力の観点では日本は豊かであり続けていたのです。

しかし3.11以後は、生産能力を大きく落とす(=豊かさを大きく損なう)可能性があります。
電力不足のためです。

下のグラフは主要各国のGDPと消費電力量を並べたものです。
GDP(国内総生産)と電力量は、完全な比例関係にあることがわかります。
日本だけ見ても、1970年から2010年の間に、GDPは2.9倍、消費電力量は2.5倍とほぼ比例して増えました。
設備が先か電力が先かという議論はありますが、設備の生産自体にも電力が必要であることを考えると、電力は国の豊かさを決める最重要ファクターの一つであることは確かです。



その電力が、3.11以降深刻に不足しています。
東京電力管内のGDPは日本の総GDPの40%を占めると言われていますが、その東電が原発トラブルで総発電能力の2割強を失ってしまっているからです。


政府は「大口需要先」つまり主に製造業企業に、今年の夏の使用電力の25%削減を要請すると言います。
企業も本社ビルの冷房や照明を止めるなどするでしょうが、工場の操業にも影響を与えることは間違いありません。
工場が止まるということは、生産が止まるということです。

短期的には節電などで乗り切るしかないわけですが、より大きな問題は、長期的なエネルギー政策をどうするか、端的に言ってしまえば原発をどうするかでしょう。
次の総選挙では、原発問題を中心としたエネルギー政策が大きな論点になるはずです。
国民投票で原発の存廃を決めるべきだ、などの声も上がるかもしれません。

ファクトとして、日本の電力の3割は原子力で賄われています(いました)。
僕も、原発反対派の人も、推進派の人も、皆等しく日本の豊かさを享受してきたはずです。
その豊かさは(反対派の人は認めたくないと思いますが)、原子力がその3割を担ってきた、豊かな電力に支えられたものだったのです。



選択肢としてはざっくり以下でしょうか。
1. 今すぐ原発全廃
2. 期限付きで全廃、その間に代替エネルギーを開発する
3. 今ある原発は存続、新設はしない
4. 今ある原発も存続、新設もする

僕の考えは・・・卑怯なようですが、今のところ態度保留です。
1は物理的には不可能ではないでしょうが、経済的な影響をあまりに無視・軽視した考えです。
一見2が現実的なようではありますが、代替エネルギーに関する明確なビジョンなしには全面同意はしかねます。もちろん◯年後に全廃とあえて制約条件を課されることでイノベーションが生まれるという考え方もありますが。。。

いずれにしても、他人に判断を任せず、個人個人が確固たる自分の意見を持つべき問題だと思います。
自分で情報を集め、自分で分析し、自分で考えるべき問題です。

僕も、考えます。

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写真はアイスランド、レイキャビク郊外。というかレイキャビクから車で15分も走るとあとは延々とこんな感じ。人口、30万人ですから。


2011年4月7日木曜日

スーツ終了のお知らせ



電力が不足しています。

東京電力の本日(4/7現在)の最大供給能力は3950万kw。
地震により停止している火力発電所などを復旧して早期に4500万kwの供給を目指すとしていますが、夏場のピークである6000万kwには1500万kw、実に25%相当も不足することになります。

どうも電力不足は今年だけのことと思っている人がいますが、僕は何年も続くことを覚悟すべきだと思っています。

東京電力は、新潟柏崎に7つ、福島第一に6つ、福島第二に4つ、計17の原子炉を保有しています。
これら3ヶ所17機の原子炉の発電能力合計は1700万kw、東電の総発電能力(全ての発電所の最大出力の合計)である6300万kwの28%に相当しています。
いや、相当していました。

3.11までは。

ところが福島は第一第二ともご存知のとおりの状況、柏崎も新潟中越沖地震の影響で3つの原子炉が停止中のため、現在は17ある原子炉のうち4つしか稼働していません。
単純に考えると(もちろん原子炉により発電能力が異なるでしょうからもう少し複雑ですが)、28%×13/17=21%相当の発電能力が失われている計算です。

重要なのは、この東電全体の2割強に相当する発電能力が、おそらく永久に失われたままであろう、ということです。
廃炉が決定しているのは福島第一の7つの原子炉だけですが、停止中の残りの原子炉を(特に福島第二を)再び動かす日が来るとは思えません。
物理的には可能でも、住民感情や世論が許さないでしょう。

つまり、東電は元の発電能力を取り戻すためには、2割強の「新たな」手段を確立しなければならないということです。

もちろん方法はあります。
大きく分けると、国内の他電力会社からの送電を増やすことと、比較的新設が容易なガスタービン発電機などを増設することです。
例えば中部電力が変換能力(中電と東電は周波数が異なるため変換が必要)を増強したり、タイが24万kwの発電能力を持つガスタービン発電機を無償貸与するなどしてくれています。
非常にありがたい話ですが、不足1500万kwに対して、これらの施策は一つ一つが1万kw・10万kwのオーダーなのです。
時間をかければいつか1500万kwに届くのでしょうが、逆にいえばどれだけの時間がかかるのか。僕にはとても1-2年で済むとは思えません。

ということで、よほどの大逆転が起きない限り、夏の関東地方の電力不足は何年も続くと考えた方がよさそうです。

ところで、なぜ夏はそんなに電力が必要なのでしょうか。

一番の理由は、冷房です。



上のグラフは資源エネルギー庁の資料ですが、電力が最大の月である7月と最小の月である4月を比べると、消費電力量はおよそ10:7であることがわかります。
(ざっくりですが)夏の電力の3割は冷房によって消費されているということです。

これはつまり、今年は、今年からは、どれだけ暑くても冷房はほとんど使えないということです。
(意地悪な言い方ですが)泣こうがわめこうが、日本人がどれだけ団結しようが、募金しようが、献血しようが、自粛しようが、東電にデモに行こうが、電力が足りないのです。

では、まず、どこから冷房を弱めるすべきか(場合によっては切るべきか)。
オフィスおよび通勤電車の中でしょう。

病院や老人介護施設など冷房の有無がただちに生命に関わる場所が他にあるということもありますが、元々オフィスも通勤電車も、冷房が過剰でした。
スーツを着た男性の体感温度に合わせて温度設定されていたため、主に女性に冷房病を引き起こしたり、ヒートアイランドの原因の一つであるなど、多くの問題を抱えていました。

ここで、タイトルの「スーツ終了のお知らせ」に戻ります。
ビジネスマンは、本気で、真剣に、心から、夏のスーツ着用をやめるべきです。
元々スーツ嫌いで年に2-3回しか着ない僕が言うと説得力がないかもしれませんがw、良い機会だと思うのです。
スーツをやめて、年々進む過剰冷房を今年で止めましょう。
少しでも多くの電力を工場などに回して、日本の復興を早めましょう。

だいたい、東京で夏にスーツを着ること自体がおかしいのです。
スーツはイギリス発祥の服装ですが、東京の8月の平均最高基本が31°Cなのに対して、ロンドンは22°Cです。札幌が26°Cですから、ロンドンは札幌よりも涼しいのです。
日本人が夏でもスーツを着るようになったのは、冷房が普及したここ30年ほどのことでしかありません(山手線に初めて冷房車両が登場したのが1970年でした)。
それまでは、ビジネスマンは夏には半袖の開襟シャツを着ていました。実に合理的です。
暑くてもスーツを着るのがビジネスマンの常識だなどと言う人もいますが、僕に言わせればただの思考停止のアホです。

企業は思い切って「夏はスーツ禁止」としてはどうでしょう。
日本人の性質を考えると「着なくても可」ではたぶん多くの人がスーツを着続けてしまいますから。
ついでに就職活動の学生にもリクルートスーツ着用を禁止すればよいのです。学生も喜ぶでしょう。

上記は真剣な提案です。
誰か不幸せになる人がいますか? ほとんどいませんね。
多くの企業が、これを機会にムダな呪縛と思い込みから逃れて、合理的な行動をとることを願います。

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写真はアイスランド、スコルガフォスの滝。
アイスランドは水力発電が7割、地熱発電が3割というクリーンエネルギー大国。
が、水力も地熱も、実は日本の方が発電量は多い。
総人口30万人(日本の400分の1)のアイスランドだからこそクリーンエネルギー100%が可能ともいえる。
エネルギー政策、難しい。