2012年11月30日金曜日

第弐拾四話 最後のシ作車

11/27から三日間、中国に行ってました。
訪中10回目だったか11回目だったか。わかんなくなってきた。

今回は、iruka試作第四弾の設計データ途中経過を見せて、工場のエンジニアとディスカッションする目的。

中華→打ち合わせ→中華→打ち合わせ→中華→カラオケ→打ち合わせ→中華、という感じ。
ああ、今回も中華料理んまかった。特に北京風羊肉しゃぶしゃぶ(↓)。鍋が二階建てになってて上段がスパイシー。



あ、いや、打ち合わせも生産的でござったよ。
ですので次回はまた12/18から訪中して、試作第四弾スタートと。

第三弾までは汎用パイプとCNC切削だけで作ってきたけど、第四弾では一部だけどいよいよフレームの金型を起こします。
フレームデザインをフィックスできればその金型がそのまま量産に使われるし、ダメなら捨てるw

というわけで、次が量産前の最後の試作にできるか否か。というところ。
まーでもどうだろなー。次の試作が4.0としたら、フレームは固まったとしてもディテールは4.1, 4.2という感じで何回か修正が必要になるかな。

ま、作ってみないとね。
楽しみだぜ。

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タイトル元ネタはエヴァなわけですが、今回往路が午後便だったんで空港に行く前の朝イチ回でエヴァQを鑑賞。んで確信したけど、あの人たち最終話できちんと話をまとめようとか伏線を回収しようとか一切考えてないよねw
とわかっていながらファイナルも見に行っちゃうんだけどさ、間違いなく。

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ときどき心配してくださる方がいますが、工場が台湾資本ということもあり、今のところ日中関係悪化の影響は特にありません。気にかけていただきありがとうございます。この場を借りて御礼をば。

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冒頭の写真は工場のある江蘇省太倉市、宿泊したホリデイイン裏の川。長江が近いので街中に川が多い。岸辺に柳が揺れて、船が行き交うさまはなかなか風情がある。


2012年11月8日木曜日

ヘヴィメタル・メリル・ストリープ

前回のエントリでワイヤが云々と言っていたら、新宿のWireというクラブに行ったときの出来事を思い出したので書いてみます。

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2001年だったか2002年だったか、花園神社近くのクラブで、ハードロックナイトがあるというので行ったことがある。

最近はクラシックを聴くことが多いけど、ルーツというか、僕の骨肉となっている音楽はハードロック、特に1980年代のハードロックである。ダサいけど。

僕という人間を玉ねぎのように外側から一枚一枚めくっていって、最後に核とか芯とでも呼ぶべきものが残るとしたら、その成分の15%くらいはハードロックだと思う。実にダサいけど。

今もそうだが、当時も、ハードロックは広く一般的に人気のある音楽ではない。客は多くはないだろうと思っていたが、店に入ってみると、客の数は僕の予想よりさらに少なかった。

少ないかわりに、コアだった。

大音量のジューダスプリーストに合わせて、長髪にロックTシャツの男女が、陶酔した表情で激しくヘッドバンギングしている。エアギター、エアベース、エアドラム、さらにエアヴォーカルもいる(つまりエアでバンドが成立している)。何と言うか、まあ、筋金入りの人たちばかりだった。

僕と連れは先客たちに気圧されて、ダンスに出ることなく何となくバースペースに腰を落ち着けてしまった。ローカルとプロしかいないサーフポイントに、知らずにパドルアウトしてしまったような気分だった。

しばらくアイアンメイデンなどイギリスのバンドの曲が続いた後、ボンジョヴィのI’d die for youのイントロが流れ始めた。キーボードのリフとコード進行がデビューヒット曲のRunawayやBorn to be my babyに似た、シリアスで叙情的な曲である。

座ってビールを飲んでいた僕たちの前に、一人の女性が立った。

年の頃は五十代半ばくらい、痩せて小柄な体、ベリーショートの髪、黒のジャケットに黒のロングスカート。良く言えば意志の強そうな、悪く言えば自己中心的で意地悪そうな顔。後で思うと「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープ、という感じだった。

メリルは口を開いた。

ねえ。どうせ誰も他人のことなんて見てないんだから、好きに楽しめばいいのよ

それだけ言うと、彼女はひらりとダンスフロアのド真ん中に進み出て、誰よりも激しく踊り始めた。

僕と連れは顔を見合わせた。ワオ、彼女は圧倒的に正しい。

僕らはどちらともなく席を立ち、フロアに出て踊った。メリルはもう僕らの方を見ることすらなく、一心不乱に踊り続けていた。

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ボンジョヴィの曲を耳にしたり、花園神社の近くを通ったりすると、時々あのボンジョヴィファンらしき女性の言葉を思い出す。誰も他人のことなんて見てないんだから、好きに楽しめばいい。だよね、メリル。

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ハードロックといえば、来年オズフェストが日本に来るね。

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写真はクスコ。



2012年11月1日木曜日

Wire After Wire

タイトルの元ネタがわかった人はいろんな意味でアレw

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irukaたんその後。

先日引き取ってきた試作第三弾を諸々いじりながら、次の試作第四弾の設計を進めちょります。

irukaは前輪が片持ちでディスクブレーキなんだけど、中国側がディスク対応の片持ちハブを見つけられず、日本で調達できたので交換しようとしたら挿し込み口が合わず、挿し込みアダプタを作ってエンドを加工したけどリムが合わず、それでもなんとかホイール組んで、じゃ次は日本で見つけた極小径のディスクローターつけようとしたら台座位置が合わずなどなど、とかくモノづくりってえのは作ってみないとわからないけど作ること自体に時間がかかるというね。

折りたたみ自転車特有の「作ってみないとわからない」課題として、ワイヤ類の取り回しがある。

前ブレーキ・後ブレーキ・変速機と三本のワイヤを、irukaのどこにどう通してどう固定するか。長さはどうするか。無理なく折りたためるか、折りたたみから戻したときにワイヤもちゃんと戻るか。

やり方がまずいと、ワイヤが引っかかって折りたたみに支障が出たり、たたんだときにフレーム間に挟まってアウターが傷ついてしまったり、曲がった状態から元に戻らずブレーキがきかなくなってしまったり。

これはCADなんかではシミュレーションできないから、実物でいろいろワイヤの固定位置や固定方法などを変えて試すしかないんだけど、簡単に思えて実は奥が深いのですよ。美しさも大事だしさ。

なんだけど、デザイナー角南さんと結束バンドで仮のワイヤガイドを作ってとっかえひっかえ試行錯誤した結果、いい感じの取り回し方法を編み出しました。と思う。イエイ。

月末くらいにまた中国に行って、第四弾製作の打ち合わせをしてきます。

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「結束バンド」で検索してて「結束バンドで後ろ手にしばられたときに脱出する方法」なる動画を発見。なるほどー、こりゃいいや。よくあるもんねこういうシチュ。ねえよ。つかないに越したことはない。

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ワイヤワイヤ言ってたら、新宿のWireというクラブに行ったときのことを思い出した。ちょっと印象的な出来事だったので、次回書いてみようと思います。

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写真はイグアスの滝最深部、悪魔ののど笛。



2012年9月28日金曜日

デモ前夜、中国にて

9月17日、iruka試作第三弾引き取りのため、僕は同行デザイナー角南さんと共に上海浦東空港に降り立った。

台湾人コーディネータのSherryが、ドライバーを連れて到着口で待ってくれている。
彼らの迎えのクルマで空港から工場のある江蘇省太倉市に直行するのがいつものコースだ。

挨拶もそこそこに、Sherryが真顔で口を開く。


「あー、Kobayashiさん、明日太倉でも反日デモがある。だから人のいるところでは日本語を話さない方がいい。できるだけ静かにしていて。あと、今日と明日の夜は、ホテルに戻ったら一人で街に出ない方がいいと思う」

9月18日に中国全土の都市で一斉に反日デモがあることは知っていたが、人口50万人弱の太倉でも行われるとは思っていなかった。ナイーブの謗りは免れない。

「Mobだね。気をつけないとね」


大げさだと言ってほしくてMobという単語を使ったのだが、Sherryは変わらず真顔だった。


「そう、Mob」

初日の打合せを終えて工場のマネージャーらとホテルのレストランで夕食をとった後、Sherryと彼女のボスJenniferから、軽く飲みに行こうと誘われた(角南さんは別プロジェクトの用件でなんと夕食後に混山の工場に連れて行かれてしまったw)。
僕も前に一度行ったことがあるが、在中ドイツ人など白人のたまり場になっているエリアがあり、そこなら心配ないだろうから、と言う。太倉にはボッシュグループなどドイツ企業の工場が多いのだ。

外国人客の多い一軒のバーに入って飲み始めていると、10人近い中国人グループがどやどやと店に入ってきて、僕たちのすぐ後ろのテーブルに陣取った。
一人だけ女性がいたが、あとは全員30〜40代の男性だ。他で飲んで来たのだろう、皆既に顔が赤く、笑い声が大きい。

あー、ちょっと嫌な感じだな、と思っていると、その中の一人がSherryとJenniferの台湾語を聞きつけたらしく、僕たちのテーブルにやってきた(僕にはよくわからないが、中国語と台湾語はだいぶ違う)。台湾人とは珍しいね、一緒にビールでも飲もうよ、という意味のことを言ったらしい。手にバドワイザーの瓶を三本ぶら下げている。

JenniferとSherryは如才なく男の相手をする。中国語なので僕には何を言っているかわからない。Jenniferが僕に耳打ちする。


「念のため、あなたは韓国人だと言っておいた」

オー、ハンゴー(韓国人)、アニョハセヨー!

男が僕に握手と乾杯を求めてくる。アニョハセヨ。成り行きに戸惑いつつ、僕も握手を返す。

おい、韓国人だってよ!とでも男が言ったのか、さらに別の男が乾杯を求めて来て、二人はそのまま僕たちのテーブルにいついてしまった。

さらに数人がこちらのテーブルに合流し、早口の中国語で話し始める。リーベン(日本)という単語が混じる気がする。時折、激したように声が大きくなる。それが彼らが機嫌よく酔っているからなのか、リーベンという単語が関係しているのか、僕にはわからない。

白状します。僕はびびっていた。

彼らも(僕と同様に)韓国語はわからないようだが、英語ができる人間がいて韓国のことを聞かれたら一言も答えられない。もし彼らが明日の反日デモに参加するようなグループで、僕が日本人だと知ったら。粗暴な人たちには見えないが、アルコールも入っているし、集団心理で何か起こってもおかしくないではないか。

早く自分たちのテーブルに戻ってくれ、と思いながら、味がよくわからなくなったビールをちびちびなめる。

しばらく男たちと話していたJenniferが、僕に向き直って唐突に言った。


「今あなたが実は日本人だと彼らに伝えた。彼らは反日デモが恥ずかしいことだと言っている。あなたに韓国人だなんてウソをつかせて申し訳なかったとも言っている」

最初にテーブルに来た男は地元の有力企業の経営者、二人目は太倉市役所の上級職員だという。経営者だという男が「I’m sorry, we are friends」と言いながら再び握手を求めてくる。

あー、何て言えばいいんだろ、Sorryなんて言われてもこっちが勝手に出まかせを言っただけなんだから、It’s OKとかNever mindじゃ逆に申し訳ないよな、などと思いながら、「We are friends, I believe so too」と何とか言葉をひねり出して握手を返した。

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翌日9月18日、ホテルから工場に向かう車中から、デモ隊の姿を目にした。交通規制が敷かれて、思ったよりも整然とした印象だった。デモは昼には終わったらしく、夜工場から戻ったときは、街はすっかり平穏な、いつもの姿に戻っていた。

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日中・日韓の領土問題に関してはいくつか言いたいことがあるが、とりあえず一言だけ。まあ、何というか、一部のポピュリズム政治家や狂信家に乗せられて、
対立を深めてはいけない。尖閣諸島とはなーんの関係もない地方自治体の、目立ちたがりなだけの首長とかさ。

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冒頭の写真は夜のクスコ。毎度のことながら内容には関係なし。クスコはやばい。特に夜。



2012年9月21日金曜日

第八話 イルカ、来日


えーと、タイトルの元ネタは・・・ま、わかる人はわかりますねw 

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irukaたん試作第三弾、このほど中国・太倉市の工場で完成し、日本に引き取ってまいりました。

中国の人たち、不明な点があったり指定したパーツが見つからないと、こちらに確認することなく明るく違う作り方で作ったり、違うパーツをくっつけたり、時にはその箇所ごと作ることを華麗にスルーして、とりあえず完成させちゃう。それで性能に支障がなければ別にいいんだけど、割と支障があるw 

というわけで、滞在中は同行デザイナーの角南さんと工場スタッフと共に時間ぎりぎりまであーだこーだと作業してました。現物を作って初めて見えることもたくさんあったしね。

そして工場を疾走するirukaたん。乗ってるのは角南さん。



成田からオフィスに託送されてきたirukaたん in ダンボール。狭くて不憫だったねえ。よしよし。



肝心の出来は・・・この段階の試作としては、良いですよ!
もう少々手を入れてから、関係各位には少しずつお披露目&ご意見伺いしていきたいと思ってます。

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写真はマチュピチュ。中国行きの前に、両親を連れて南米旅行に行っておりました。


2012年8月27日月曜日

軽い駐輪場


政策を評価する上では、その政策の効果そのものももちろんだが、「重さ・軽さ」も重視すべきだ。

例えば、前回述べた自転車レーンについて言うと「柵で車道から完全に分離された自転車レーンを作る」というのは、政策としては「重い」。

自転車ユーザーとしては理想的だが、柵を作るコスト、工事期間の長さ、緊急車両も停止できない、トラックの荷さばきどうすんだ、タクシーは?などなど、調整すべき課題が多すぎて結局実現しない。
もしくは、非常に小規模な「社会実験」で終わってしまう。

逆に「車道端1.5メートル幅を自転車レーンとして青く塗る」という政策は「軽い」。

コストは安く、工期も短い。緊急車両は停止可、トラックの荷さばきは時間限定で可、タクシーは乗降可能な区間を定める、など柔軟に運用していけばよい。

東京駅周辺で放置自転車が増えている、という。

原因は、駐輪場の不足である。

に対して『千代田区は「23年にJR東日本に駐輪場設置を依頼したが断られた。あの辺りに区有地はないし…」と困り顔だ』というが、東京駅の近くに何千台も収容できる大規模駐輪場を作るという政策は、重い。とんでもなく重い。

都市における駐輪スペース不足解消に関しては、実は「軽い」政策がある。

歩道上の植栽をつぶして小規模駐輪場に作り替えること、である。



写真は明治通りだが、日本の街にはなぜかこのような低潅木の植栽が非常に多い。
街の緑化の目的で普及したのだと思うが、多くはご覧のように手入れは行き届いていないし、中には雑草が伸び放題だったり、ゴミ捨て場と化していたり、美観の点では多くが逆効果になってしまっている。

この植栽スペースを、駐輪スペースにする。

駐輪場といっても、作るのはこれでOK。



写真はドイツのローテンブルクだが、ヨーロッパの街にはこのような「自転車をくくりつける金属バーだけ」の極小規模駐輪場が多い。

このやり方であれば、都心に1万台規模の駐輪スペースを一気に作ることができる。
大規模駐輪場に比べて設置コスト・運用コストが格段に安いなど「軽い」のみならず、自転車ユーザーにとっては駐輪スペースは大規模集中型より小規模点在型の方がメリットは大きい。

自転車レーン同様に、行政が動けば/行政を動かせば、十分に実現可能。

日本も、東京も、やればできるんです。絶対に。

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自転車レーンのエントリはTwitterで猪瀬直樹・東京都副知事に読んで頂けないかメンションを飛ばしたが今のところ反応なし。

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冒頭の写真はイタリアの海沿いの街ヴィアレッジョにて。毎度ながら内容とは関係なし。


2012年8月17日金曜日

オリンピックで街は変わる(ただし東京を除く)


オリンピックが終わりましたね。

このエントリとオリンピックの関係については後で書くとして、まずファクトを提示します。

各都市の自転車レーン総延長距離:
ロンドン 900km
ニューヨーク 675km
パリ 500km
東京 11km


え?見間違えたかな?と思った人もいるかもしれませんね。もう一回どうぞ。

各都市の自転車レーン総延長距離:
ロンドン 900km
ニューヨーク 675km
パリ 500km
東京 11km


僕は何度かこのブログで、自転車活用に関して東京がいかに遅れているかを書いてきましたが、改めて数字にして並べるてみると愕然とします。
(過去エントリ:自転車レーンを作るのだ 丸の内に駐輪場を作るのだ

なぜこれほどまでに違うのでしょうか。
東京には、自転車レーンを作れない特殊な事情でもあるのでしょうか。

ありません。

違うのは、行政のやる気だけです。

他の三都市とも、かつては、といってもつい最近まで「自転車に優しくない街」として有名でした。
ところが、ロンドンはボリス・ジョンソン市長が2008年に、ニューヨークはブルームバーグ市長が2001年に、パリはドラノエ市長が2001年に就任してから、劇的に変化しました。
パリなんて1995年の時点では自転車レーンの総延長はわずか8kmしかなかったのです。
ニューヨークとロンドンも、程度の差こそあれ似たような状況でした。

パリとロンドンは、自転車レーンの拡充のみならず、コミュニティサイクルと呼ばれるレンタル自転車ネットワークも導入しており、ニューヨークも計画中と聞いています。

行政が、特に首長がやる気を出せば、街は大きく変わるのです。

では、なぜこれらの都市は自転車インフラを強化しているのでしょうか。

自転車だけに注目すると、本質を見誤ります。
自転車活用促進は、単独の政策ではなく、より複合的・長期的な都市政策の一つでしかありません。

それは「クルマ社会からの移行」です。

ロンドンやニューヨークなど世界の大都市の多くは、長年クルマ優先の街づくりが進んだ結果、慢性的な渋滞、大気汚染、ヒートアイランド化、交通事故、景観破壊、駐車スペース不足などの問題に悩まされてきました。

より安全かつ環境負荷の低い都市へと変貌を果たすため、都心からクルマを減らすこと、そのために市民がクルマより自転車や電車・バスなどの公共交通機関をより利用したくなるように政策を整備することが、各都市共通の基本方針なのです。

そこで、いずれの都市も、ある程度クルマの利便性をあえて損なう政策(ペナルティ)と、クルマ以外の移動手段の利便性を向上させる政策(インセンティブ)を組み合わせて導入しています。

ロンドンは、都心20平方キロ内でクルマに乗るには課徴金が必要です。
ニューヨークは、タイムズスクエア前などいくつかの目抜き通りを歩行者天国にしました。
パリは、市内の道路の2割近くを、制限速度を30km以下とする「ゾーン30」に指定しています。

自転車活用促進は、複合的な都市交通政策のうちの一つであることがよくわかると思います。

さて、なぜ冒頭でオリンピック云々と書いたのか。

東京都は、2020年オリンピック開催都市に立候補しています。

ロンドンオリンピック期間中、現地に視察に赴いた猪瀬直樹・東京都副知事が「ぜひ東京でこの感動を」と訴えるツイートを繰り返し、僕のタイムライン上でも賛同する声が大いに盛り上がっていました。

東京都はオリンピック招致にあたって次のように述べています。

「東京の都市戦略として策定した「10年後の東京」計画に基づき、超高齢化社会への対応、子供たちの健全な育成、さらには交通渋滞の解消など、より安心・安全で快適なまちづくりに取り組んでいます。オリンピック・パラリンピックはこうした取り組みを加速させ、東京をさらに暮らしやすい街へと生まれ変わらせます」(2016年オリンピック招致サイトFAQより)。

「10年後の東京」と銘打った都市戦略があり、それをオリンピックによって加速させるというのです。

すばらしい。

リオデジャネイロも、オリンピックを機に自転車レーンを300kmまで拡充するそうです。
ロンドンも、オリンピックまでに渋滞を減らそうという思いが自転車レーン設置を加速させたと聞きます。
渋滞と大気汚染が世界最悪と言われる北京は、オリンピックをきっかけに導入した自動車ナンバー別走行規制を、2013年まで継続することを決めました。

オリンピックは、街を変えるチャンスなのです。

僕は東京オリンピックそのものには特に乗り気ではありませんでしたが、これを機に東京が美しくサスティナブルな、自転車フレンドリーな街に生まれ変わるなら、全力で開催を支持します。

では、その東京都の都市戦略「10年後の東京」を見てみましょう。わくわく。

こちらをどうぞ!

・・・。

時間がある方はご自分の目で確かめてください。

自転車のジの字もありません(*)。

別に全て外国のマネをすべきとは思いませんが、ロンドン、ニューヨーク、パリという世界三大都市が、安全と環境のために、都心からクルマを減らして自転車と公共交通機関の活用を促すべきという結論に至っているわけです。
自転車活用促進は、囲碁でいえば定石の政策であるといえるでしょう。

東京都はそんな定石はガン無視です。

まあ別に定石を用いなくても、それにかわるだけの効果的なプランがあるなら構いません。
ところが、交通に関しては環状道路を整備して渋滞を減らす環境に関しては緑化と再生エネルギー導入を進めてCO2を25%削減する、としかありません。

僕が自転車ファンであること、自転車ビジネスに携わっていることを抜きにしても、これはあまりにも、あまりにもお粗末です。

なんというか、まあ、賭けてもいいですが、これでは10年後の東京は何も変わらないでしょうね。

・・・というわけで僕は現在の東京都の都市政策とオリンピック招致計画には、大いに失望しています。

が、絶望はしていません。
リーダーシップが変われば街は大きく変わることが、ロンドン、ニューヨーク、パリを見てわかっていますから。

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*一応こちらの46ページに「自転車道を整備」との文言がありますが、見ていただければわかるとおり完全なやっつけ記述ですので無視します。

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冒頭の写真はヴェネツィアの裏路地。ていうか裏水路。


2012年8月10日金曜日

試作第三弾、その後


遅れたら嫌だなと思って詳しくは書いていなかったんだけど、中国で進行中のiruka試作第三弾は7月中には完成する予定だった。

が、案の定遅れたw

工場側の作業はほぼ順調だったのだが、パーツが揃わない、と言う。

自転車製造業は、大雑把に言うと、GIANTのような完成車メーカーと、シマノに代表されるパーツメーカーに分けられる。

完成車メーカーは各パーツメーカーからブレーキやギア、ペダル、サドル、チェーンなどのパーツを調達してフレームに組み付け、一台の自転車に仕上げる。

ゆえにパーツがひとつでも届かないと自転車は完成しない。

パーツメーカーとして圧倒的なトップシェアを誇るのが、我らが日本のシマノ
特にブレーキと変速機では世界シェア80%という、とてつもないガリバー企業であり、irukaにおいても内装ギアなどいくつかの箇所で使う予定で進めている。

圧倒的ガリバー、ゆえにこのシマノさん、常に注文が殺到していて納期が厳しい。
また、自転車業界では有名な話だが、ちょいとばかり、えーと何と言えばカドが立たないか、余裕があらせられる、うーん違う、ごゆるりとされている、何言ってるかわかんなくなってきた。

・・・要するにシマノのパーツが来ないので完成の目処が立たないと言うのである。

ということを懇意にしていただいている自転車ショップ社長に相談したら「そのパーツうちで仕入れられるから、日本で調達して中国に送っちゃえば?」とのアドバイス。

全然それでいいっす。
てかそれがいい(小売価格で買うので少しばかり高くつくけど)。

というわけで先ほど横浜某店に届いたパーツたちを引き取りに行き、そのまま近くの郵便局からEMSで中国に発送してきたところ。

試作第三弾、9/17からの中国出張にて引取予定。

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写真はフィレンツェ、夜のドゥオモ。


2012年7月19日木曜日

<おすすめ書籍>銀輪の巨人(ジャイアント)


自転車に関する本は数多あるけど、自転車ビジネスについて語った本は少ない。
少ない、というか全く見たことない。

その意味で、本書は世界最大の自転車メーカーGIANTの成長の歴史と現在の姿を通じて自転車ビジネスを俯瞰した、非常に貴重な著作です。



すっごくおもしろかった。

何がおもしろいって、もちろん自転車業界の人間としてもおもしろいんだけど、自転車業界のみならず日本の製造業全般に広く普遍化して考えさせられる内容である点。

こんな感じ↓

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むかし、日本は世界有数の自転車生産国でした。
国産の自転車で国内需要を100%賄っていたのはもちろんのこと、欧米に対する最大の輸出国でもありました。

しかし、経済成長に伴う人件費の高騰と、GIANTなど台湾メーカーの台頭により、日本メーカーは1980年代から徐々に競争力を失っていきました。
2000年には輸入台数が国産台数を逆転、現在は内需の90%を輸入に頼り、対外輸出は事実上ゼロと、日本の自転車製造業はほぼ消滅したと言ってよい状況にあります。

日本にかわって輸出トップ国の座についたのは台湾ですが、その台湾も、中国の台頭に悩まされることになりました。
中国は安価かつ大量の労働力を武器にシェアを急速に奪い、台湾の自転車輸出はピークだった1998年からわずか3年後の2001年にはなんと5割減の479万台にまで激減したのです。
台湾メーカーも中国に工場を建設して利益の確保を図りましたが、台湾本土の空洞化は防ぐべくもありませんでした。

ところが、空洞化をなすすべなく見守るのみであった日本メーカーと異なり、台湾メーカーは自助努力によって活路を見出しました。
「高級化」です。

GIANTが旗振り役となって「Aチーム」と呼ばれる業界団体を結成、お互いの技術ノウハウを共有して台湾メーカー全体で技術レベルアップを図った上、トヨタのカンバン方式を取り入れるなどして経営効率化に努めたのです。
結果、輸出台数は2010年で507万台と横ばいでながら、輸出総額は15億ドルと2000年代初頭の3倍に成長、つまり1台あたりの輸出単価が3倍に高まったのです。
まるで絵に描いたような、高付加価値化の成功と言えるでしょう。

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どうですか。
なんかこう、テンション上がりませんか。
日本だって、と思いませんか。

ちなみに僕が通っている中国の工場も台湾資本。いろいろ学ばせてもらいたいと思います。

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冒頭の写真はフィレンツェ、夕闇迫るヴェッキオ宮。


2012年6月29日金曜日

旅とネット


イタリア逗留から帰国の途。
東京便ディレイにつきチューリッヒのラウンジで暇つぶしにブログなぞ。

今さら言うまでもないことだけど、ネットって便利ですね。と今回の旅で改めて思った。心から。

airbnbでフィレンツェのアパートを借りて、booking.comでホテルを探して一泊二日のイタリア国内旅行に2回、classictic.comでチケットを探してクラシックのコンサートに2回。
ああもう本当にネットのおかげ。列車やバスの時間も当然のようにネットで調べて出かけるし。つかネットがない時代に旅行ってどうしてたんだっけ。

特にスマホとタブレット登場後ここ3-4年で公共の場所のWiFi整備が進んで、便利さが加速していると感じる。

同時に思うのが、世界で使われている日本発のネットサービスってないなあ、ということ。
airbnbとbooking.comはアメリカ発、classictic.comはドイツ発のサービス。
別に僕はナショナリストではないのでどこの国のサービスだろうと便利なら別にいいんだけど、やっぱり自分の国の製品なりサービスなりが世界的に使われたらうれしいなあと思う。

もう一つ、日本、特に東京は本当にすばらしい旅先だと思うんだけど、ネット上では他の国際大都市に比べて情報が少ないし、その分だけ敷居が高いんだろうなあ、と。
例えばairbnbで物件を検索すると、ロンドン、パリ、ニューヨークなどでは数千件単位でヒットするのに対して東京は百件も出てこないし、日本のコンサートチケットを英語で探して予約できるサイトなんて存在すらしないんじゃないの?

僕が何かできるわけではないけど、何とかしたいなあと思った次第。
ではそろそろ搭乗。

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写真はフィレンツェ、ドゥオモ隣の鐘楼。


2012年6月25日月曜日

マキネッタ体験


恥ずかしながら今回フィレンツェに来るまで、直火式エスプレッソメーカー、いわゆるマキネッタという道具の存在を知らなかった。

アパートにあったので初めて使ったんだけど、コツをつかめばちょっと驚くほど美味しいコーヒーを飲むことができる。



美味しいけど、淹れるにも後片付けにも時間がかかる。特に後片付けは本体が冷めるまで何もできず極めて不便。
「イタリア人てのは悠長だねえw」と思っていたが、そういった手間がかかるからこそ美味しく感じるのだと思い至った。

考えてみれば当たり前だけど、美味しさというのは、飲みもの食べものそのものが備える味覚情報、言ってしまえば化学組成だけで決まるものではない。
舌をはじめ、鼻・目・歯ざわり・のど越しといった各種のインターフェイスが受信した膨大なインプット情報を脳が統合処理して判断するわけで、むしろ我々の体調や気分によるところがかなり大きい。

例えばネスプレッソなどと比較したら、ブラインドテストではネスプレッソの方が美味しいと感じるかもしれないけど、本場といわれるイタリアで・初めて使う道具で・自分が手間をかけて淹れたという時点で、もうマキネッタの方が美味しく感じると決まったようなものかと。
特にコンロの前で沸騰する音にじっと耳をすまして待たねばならない、というのは大きいね。否が応にも期待が高まるというもの。

かようにヨーロッパの道具類というのは、あえてユーザーに手間をかけさせることで逆に愛着を強めさせるようなところがあるように思う。
僕はクルマに乗らないのでよくわからないけど、ポルシェとかランボルギーニとかヨーロッパのクルマもそうなんでしょ。

自転車事業においても大いに参考になります。

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冒頭の写真はシエナ、マンジャの塔からドゥオモ方向を望む。


2012年6月24日日曜日

フィレンツェ逗留


irukaは最低でも海外売上比率50%以上のグローバルブランドにしたい。
自転車の本場といえばヨーロッパ、さらに僕がヨーロッパ好きということもあり、ヨーロッパ市場には特に注力したい。
そこでiruka発売の暁には、ヨーロッパに根城を作って、1年のうち数ヶ月をヨーロッパで営業に回りつつ生活したいと思っていた。

が、irukaが一向に発売に至らないので、ヨーロッパ生活の予行演習に来ちゃいましたw

airbnbでアパートを借りて、イタリアはフィレンツェに11日間の予定で滞在中。
なんてことのない小さなアパートだけど、料理洗濯が自由にできて長旅においてはラグジュアリなホテルに泊まるよりよほどストレスがなく快適。
今日の夕食は米を炊いて納豆ごはんに。

WiFi完備なので日本&中国と多少の仕事のやりとりはしつつ、booking.comでさらに宿を探してトスカーナ地方の小さな街を巡るなどしています。

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そうこうしている内に中国からiruka試作第三弾は7月中旬には完成しそうとの連絡が。ワオ。

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冒頭の写真はフィレンツェ、ヴェッキオ橋裏手の小径。


2012年5月22日火曜日

訪中記


先週の中国出張ログを日記形式で。
商談の核心部分はちょっとアレなんで書きませんが、中国にはこんな感じで出張してますよ、ということで。

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【初日】5/13(日)

午後便で同行デザイナーS氏・R氏と共に上海浦東空港着。
台湾のコーディネータW社が出迎え。手配のクルマで江蘇省・太倉に移動。車中2時間。
中国ではクルマ送迎がデフォ。ちょっとした工場には「運転手」という職種の社員がいる。

ホテルにチェックイン後、台湾料理店にて夕食。
W社社長と社員2名の他、なぜか面識のない台湾人女性が2名。聞けばW社社長らと同郷の友人とのこと。
中国では、会食の場に他の関係ない取引先や、ただの友人が混じっていることがままある。
ビールで乾杯(という名のイッキ強要)が繰り返される。

食後、KTVでカラオケ。初参加S氏の歓迎会という趣旨なのか、小姐付き。
歌うのは好きだけど小姐が付くのは好きではない(いやマジで)。が、断るのも野暮というもの。
KTVの仕組みがわからない良い子のみんなはggrks。


【二日目】5/14(月)

9時より太倉A社。ミーティング。

続いて11時より同じく太倉O社。午前は主に工場見学。

O社の計らいで日本料理店で昼食。悪くない。が、W社社長が中華料理感覚でテーブルを料理で埋め尽くすので食べきれない。

O社に戻り打合せ再開。
その後、翌日の訪問先である常州Y社のクルマで太倉より常州に移動。車中2時間。

ホテルにチェックイン後、Y社の計らいで夕食に。昼食に続いて日本料理。丸かぶり。気を使ってくれるのはうれしいが、中国では中華料理の方が良い。
Y社社員に酒豪の女性(仮名:大山のぶ代→似てるから)がおり、日本酒乾杯イッキを強要される。

早く帰って休むつもりでいたが、大山のぶ代の主張によりカラオケに。二日連続。
のぶ代、ちょっと驚くほど歌がうまい。そして帰らない。いくら歌っても帰らない。終盤、のぶ代以外全員アイコンタクトで曲追加をストップして帰ろうぜオーラを発するも、空気を読まず歌い続けるのぶ代。たまりかねたW社社長がのぶ代に何も言わず会計を済ませるという荒業を繰り出し、なんとか終了。

楽しかったが疲れた。もうカラオケはしばらくいい。


【三日目】5/15(火)

午前中Y社。ミーティング。

常州の中華料理店で昼食を済ませ、太倉へ戻る。車中2時間。
初日のホテルに再びチェックインし、W社と今後の進め方を打合せ。

夕食、W社社長・社員とタイ料理。テラス席。夕暮れの風が心地良い。
店の隣は日本人向けKTV。ふと見ると、初日の夕食に同席していた台湾人女性2人が店に入るところ。KTVの店員だったのだ。

会ってしまったからには店に行ってあげないと悪い、と主張する義理堅いW社社長。彼らは同郷出身者を大切にする。
5分だけ、と言われてまさかの三日連続カラオケ。5分で終わるわけはない。


【最終日】5/16(水)

午前中O社再訪。ミーティング。

昼食は韓国料理店。「胃腸も疲れているし冷麺だけでいいよ」と言っているのにW社社長が中華料理感覚でテーブルを料理で埋め尽くすので食べきれない。デジャヴ。

食後、O社のクルマで空港へ。車中2時間。

21時、成田着。解散。

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写真は上海外灘の一角。今回行ったわけではないですが。


2012年5月21日月曜日

どうにかこうにか


iruka開発、ずーーっと「中国の工場で量産を前提とした三回目の試作を作る」というフェイズでスタックしてました。
決まっては止まり、決まっては止まり。

が、先日5/13から5/16までの中国出張で、ようやくまた転がり始めました。

なんて言ってるとまた止まっちゃうかもしれないので、詳細は追々書いていきたいと思いますw

みなさん、すっかり待ちくたびれてると思うけど、もうちょい待っててね。

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写真は安曇野・光城山。桜の花びらに覆われた登山道。ゴールデンウィークがちょうど満開。


2012年4月27日金曜日

今にフォーカスする


中国の工場に質問リスト投げてんだけど返って来ないし。
ということでテニスネタ連投。

前回、ベテランJOPに挑戦していることを書きました。
もちろんテニスそのものが好きだから、試合が好きだからやってるわけですが、ベテランJOPに出てくる人たち、特に上位プレーヤーの人たちが魅力的で刺激になる、というのも実はあります。

何が魅力的か、というと「今にフォーカスしている人たち」ということです。

ベテランの世界では、上位プレーヤーにも色々な人がいます。
職業はやはり現役テニスコーチが多いですが、サラリーマンや自営業の人もいます(先週僕が初戦でスコ負けした大会の準優勝者は消防士らしい)。
ジュニア時代・学生時代から全国的に有名なスター選手だった人もいれば、かつては全く無名だった人もいます。
体育会出身者や有名クラブ出身者もいれば、中には同好会上がりの人もいます。

そうなると「ジュニア時代から全国レベルで活躍して今も現役テニスコーチを続けている有名選手が、同好会上がりのサラリーマンに負ける」とか「インカレ上位経験者が、関東学生にも出られなかったかつての無名選手に負ける」なんてこともあります(もちろん逆の方が多いですが)。

前者の「以前から有名だったプレーヤー」は、ベテランJOPなんか出てこないで、コーチだけやっていたりテニスクラブで仲間内でほどほどにプレーしていれば、いつまでも「往年の名選手」として尊敬され続けるわけです。実際にそういう人はいっぱいいます。
それをわざわざベテランJOPなんか出てきて、かつての無名選手に泥試合に引きずり込まれて、負けて、「あの◯◯さんに勝っちゃった」「◯◯さんも落ちたね」なんて言われるリスクを負うわけです。
合理的な行動とは思えません。
それでも、やりたいからやってる。かっこよくないですか。

後者の「かつては無名だったけどベテランでは上位にいるプレーヤー」は、逆に有名プレーヤーと対戦しても「名前負けしない人」です。
僕は昔から「名前負け」してしまう方で、格上と言われる相手にはどうも最初から負けて当然のように思ってしまい、つい自分からミスを早めたり、スコアが離れると戦意を喪失したりしがちでした。つまり小物なんですよ。
彼らは逆に、格上の相手にこそ戦意を高めて、一段とパフォーマンスを上げることができるわけです。
そのメンタルの強さがうらやましい。かっこいいです。

前者も後者も共通しているのは、自分についても相手についても、過去のことを一切意識の外に置いて、「今」だけを見て戦っている人たちが強いということです。
それが「今にフォーカスしている」という意味です。

これはテニスはもちろんのこと、仕事でも何でも、あらゆることにおいて結果を出すために必要な、共通のマインドセットだと思います。

・・・わかっちゃいるんですけど、難しいんですよねえ。精進します。

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元オプト取締役CFOという肩書きは何かと便利なんで今も使ってますが、「今にフォーカス」して早く外さなきゃ、です。そのためにはまずirukaを・・・はい・・・がんばります・・・。

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写真はパスポート更新に行った東京都庁。何気に高層建築物好きです。


2012年4月23日月曜日

夢なんてかなわない


こんにちは。
TwitterとFacebookではテニスと料理しかしてないように見える小林です。
実はirukaは諸々重要な局面にあって、ちゃんと仕事もしてるつもりですが、テニスもかなりやってるのは事実ですw

というのも、実は昨年からベテランJOP大会に挑戦し始めてまして。

ベテランJOPというのは、日本テニス協会の年齢別公式ランキングシステムのことで、男子は35才以上の部から5才刻みで80才以上の部まであります。
ランキング対象の大会に出て勝ち進むとポイントが付与され、直近一年間のポイントの高低で毎月ランキングが更新されます。
各大会はAグレードからFグレードまで格付けされていて、高グレード大会ほどポイントが高く、強豪選手が集まってレベルが高くなります。

僕も含めて、全てのベテランプレーヤーの夢は、秋の全日本ベテラン選手権、いわゆるジャパンに出ることです。
選ばれし32人だけが出場を許される、いわばテニス界の甲子園ですね。
本戦ストレートインするにはランキング上位26人に、予選に出るためにも27〜38位に入っていなければなりません。そのためには最低600ポイント近く獲得している必要があるため、ポイントの高いDグレード以上の上位大会でコンスタントに勝ち進むことが必須です。

で、選手登録して大会に出始めてから一年たつのですが、これがもう、ほんとーーーに勝てないんですよ。
強い人がほとんど出てこないEグレード大会とFグレード大会ではそれぞれかろうじて一回ベスト4、一回優勝があったけど、Dグレード以上ではこれまで4大会に出て一試合も勝ててません。一試合も。

今シーズンも先々週の東京オープン(Dグレード)、先週の東海毎日(Cグレード)と意気込んで2週連続で出場したけど、連続初戦敗退ですわ。
東海毎日なんて新幹線で名古屋まで遠征して片道3時間+待機3時間、んで試合時間40分、スコア0-6, 1-6で吹っ飛ばされてトボトボ帰ってきたわけ。
心折れるよw

そんなわけで、現在の僕の状況は、40才以上男子シングルスで85ポイントの148位。
もちろん人間に不可能はありませんが、まあ客観的には、今の僕の実力からすると全日本は極めて難易度の高い夢であると理解しています。

でね。よく「念ずれば夢はかなう」って言う人いるじゃないですか。あれウソだよね。

念じて努力しなければ夢はかなわない、これは真実でしょう。でも、逆は真ではない。
スポーツでもビジネスでも、どんな分野でも、念じて精一杯努力しても夢がかなわないことなんていっぱいある。ていうか夢がかなう人なんてほんの一握りじゃないですか。

そこで最近、強く思うのです。

趣味でも仕事でも事業でも、努力して最終的に夢がかなわなくても後悔しないような、努力の過程や苦労自体が喜びとなるような、心から好きなことに集中して打ち込むべきだ、と。

その点、僕にとってテニスと自転車事業はまさにそうだなあと思う。
だから望んだとおりの結果が出なくても続けられるし、続けるだろうな、と。ていうか実際に続けてるし。

逆に、好きでもないことに時間をムダにできるほど人生長くはないなあと、近頃よく感じます。年ですかね。
まあ80才以上の部まで出続ければ、まだ40年以上チャンスはあるんですけどねw

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写真は青山墓地の桜並木。


2012年3月23日金曜日

ブータンを思い出す


昨晩、NHKでブータンの特集番組を放送していた。

先日国王が婚約者と共に来日して注目を集めたこともあるが、特に震災と原発事故以降、日本も経済成長よりも国民の幸福度を重んじるブータンの政策を見習うべしという声が、にわかに高まっているように思う。

僕も2009年にブータンを旅行し、すばらしい自然、仏教に根ざしたユニークな伝統文化、そして純朴で暖かな国民性に魅了され、その基盤となるGNH(国民総幸福量)を重視した国家運営を我々もおおいに学ぶべきとブログ(旅行記 1 2 3 4 5)に書いた。

今もその考えは変わらないが、昨晩のテレビ番組をはじめ、昨今の日本人がブータンを見る目は、どうも「隣の芝」が過ぎるように思えてならない。
そこで今日は、あえて、ブータンに関してあまり知られていないファクトを提示しておきたい。

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ブータンの人口は約70万人、一人あたりGDPは1978ドルである(2010年為替レートベース 日本の20分の1)。

国ごとの一人あたりGDPと平均寿命には強い相関があることが知られているが、ブータン人の平均寿命は66才であり、北朝鮮よりわずかだが短い(日本は83才)。

最大の産業は電力の輸出である。ヒマラヤの雪解け水を利用した水力発電で作った電力を、隣国インドに売ることでGDPの20%を稼ぎ出している。

売電に次ぐ主要産業は農業であり、国民の8割強が農業に従事している。工業が発達していないため国内の電力消費が少なく、ゆえに売電が可能であるともいえる。

近年、第三の産業の柱として観光業にも力を入れている。
日本に比べれば職業選択の自由がないに等しい(自由はあるが職種がない)ブータンにおいて、旅行ガイドやホテルマンは「イケてる仕事」として大人気だが、環境に悪影響を与えないよう政府が旅行者数を制限しているため、観光業への就職は極めて狭き門である。アマンがオープンした際には、80人の求人に実に3000人の応募があったという。僕についたガイドは、政府の外交儀典官というエリート職を擲っての転職だった。

国の収入の3割は外国(特に隣国インド)からの助成金である。

テレビが1999年に、携帯電話が2003年に、ネットが2005年に解禁された。
携帯電話は既に人口の6割強に普及しており、ガイドは「そのせいで離婚が増えた」と話していた(浮気が増えたのか、浮気が発覚しやすくなったのか・・・)。
テレビが解禁されるまでブータンは事実上「情報鎖国」の状態にあったが、テレビ解禁後は海外の映画やドラマの影響で、若者のファッションなど人々の嗜好が変わりつつあるという。
ネットの普及率は人口比6%と未だ低いが(日本は70%以上)、今後普及が進んで、人々がより容易に国外の情報に接することになったとき、はたしてどのような変化が起こるのだろうか。

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ブータンはすばらしい国だ。
旅行者として訪れたら、ネガティブな印象を持つ人はおそらくいないだろう。

だが、ブータン国民に生まれ変わりたいかと問われたら、僕の答えはノーだ。
日本人としての生活の記憶がリセットされるならイエスかもしれないが。

そして、テレビやネットで国の外を知ったブータンの人々が、日本人のような生活をしたいと言い始めたら、僕は止めることはできない。そんな権利もない。

一方で、これからの日本にとって、ブータン的な生き方、すなわち「足るを知る生き方」が必要であることも承知している。
さて、どうしたものか。
答えなし。考える。

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冒頭の写真はブータン、ティンプー郊外にて。まだ小さい子どもたちが、さらに幼い弟や妹の面倒を見る。昔の日本もこうだったのだろう。昔は良かったとも、昔は大変だったとも言える。


2012年3月19日月曜日

irukaの見積


中国の工場から、ざっくりながらiruka量産見積をもらった。
見積というか、まあラフな下見積かな。
これを叩き台にして詳細を検討していくという。

見積は大きく分けて二つ、初期コストと量産単価、つまり量産を始めるためにかかる金額と、作り始めてから1台当たりいくらで作れるか、に分かれている。

初期コストというのは、金型と溶接治具の代金。
金型にはパイプの押出成型型と、カタマリ部分の鍛造型がある。

量産単価は、各パーツの仕入・フレーム溶接・組立ひっくるめて1台いくらで出荷するかの金額。
輸送費の負担の仕方によって、FOBかCIFで見積るのが一般的。

FOB=Free on Boardというのは、輸出港(たぶん上海)で船に荷積みするまで。
CIF=Cost, Insurance and Freightは、輸入港(たぶん大阪)に荷揚げするまで。

FOBの場合は自分で船と保険を手配する必要があるが、混載コンテナを使えることで多少割高になるけど一回あたりの発注ロットを小さくできる。
CIFだとコンテナ一つをチャーターすることになるので、ロットは大きくなるが単価は抑えやすい。
この辺りはただ今ドロナワ式に勉強中です。

見積の通貨はRMB(人民元)ではなくてUSD(米ドル)で、注意書きに「1USD=◯RMBプラスマイナスいくらのときのみ有効。その範囲を超えて為替が動いたら見積も修正される」と書いてある。
中国政府は巨額の為替介入を行うことで人為的に対米ドル固定相場制を作り上げている、ということが実感されますな。

初期コストも量産単価も、詳しくはこれから詰めてくけど、だいたい想定内な感じではある。

試作は別途進行中なので、量産がすぐ始まるわけではないんだけど、見積があると何かこう、具体的に迫ってくるものがあります。

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治具って英語のjigの当て字なんだって。知らなんだ。

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写真はフィリピン、サンジュアンのビーチにて。


2012年3月12日月曜日

台湾でタダ飯にありつくの巻


台北サイクルショーは、エンドユーザー向けのお披露目を主眼とした日本のサイクルモードと異なり、台湾のメーカーが国内外のバイヤーに自社製品を売り込む商談の場。

出展者からすると、新規開拓の意味合いもあるけど、海外の取引先がわざわざ来てくれる数少ない機会でもある。
特に、欧米の企業が台湾に来るなんて年に何回もあるわけではない。

よって、台北ショーの期間中は、台湾メーカーが取引先を招いたパーティが、市内の至るところで繰り広げられる。

んで、今回そのうちのひとつ、某H社(仮名)のパーティに行ってきました。

打合せ相手である台湾のコーディネータから「H社って会社のパーティに行くから、君らも招待するよ」と言われて行ったんだけど、考えてみたら、他人様の会社のパーティに自分とこの取引先を勝手に招くか?w
呼ぶ方も行く方も厚かましいし、主催者はいい迷惑だろwww

・・・と思っていたんだけど、行ってみたら違いました。

H社はステムやフォークを中心としたパーツメーカーで、深センの株式市場に上場してるくらいの大企業。さらに今回は創業40周年パーティを兼ねているということで、気合が入ってるわけです。

体育館みたいなだだっ広い会場に、10人がけのテーブルが60卓、つまりキャパ600人。
でけえよ。
ヤワラちゃんの結婚式か(→古い)。

体育館バリにでけえ会場全景


お客は欧米人が3分の1くらいかなあ、あと日本人もそこそこいた。

で、どうも僕たちのように、H社とは直接関係はないんだけど取引先に呼ばれて来ました、という人がかなりいる感じなんですよね。

そこでハタと気づいた。
「H社にとっては、パーティにわんさか人が集まってることが大事なんだ!」

やっぱり、中国人て「数」が好きなんですよ。

よく言われる話で、中国の工場は、1万円×1000個を作る案件と1000円×1万個を作る案件があったら、必ず後者、数が多い案件を選ぶ、というのがある。
特に合理的な理由はなく、とにかく数が多い方が好きなんだと。
(その点irukaは典型的な高単価・少量の案件なので話を進めるのに苦労するわけです)

パーティも同じで、せっかく遠く海外からも取引先が来てくれてんだから500人くらい集めないとカッコつかないじゃん?的なマインドセットなんでしょうね。

つまり我々はタダ飯にありつくために来た招かれざる客ではなく、H社のパーティを盛況にするためにやってきて、その対価としてタダ飯を食べているのだ!
そう気づいてからはすっかりくつろいで、遠慮なくがっつり飲み食いしてまいりましたw

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ゲストの半分近くが外国人て、グローバル展開してる企業のパーティならではで、いいな、と思った。

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冒頭の写真は台北市街の寺院。ひっきりなしに市民がお詣りに訪れる。


2012年3月10日土曜日

台北サイクルショーに行ってきた


台湾のコーディネーターおよび工場との打合せがてら、台北サイクルショーに行ってきました。
ミーティングの内容は、今はちょっと詳しく書きづらいので、今日はサイクルショーについて。

台北ショーは、上海ショー、ドイツユーロバイクに並ぶ世界三大自転車ショーの一つです。

日本にも国内最大規模の自転車ショーとして秋の「サイクルモード」があるけど、台北ショーとは、ちょっと、というかかなり違う。

違いを一言で言うと、日本のサイクルモードは国内外メーカーが日本の消費者に製品をお披露目する「B2Cのプロモーションの場」であるのに対し、台北ショーは主に台湾メーカーが海外企業に自社製品を売り込む「B2Bの商談の場」である、ということ。

日本は、自転車製造業はほとんど存在しない一方(昔、日本人の人件費が安かった頃はいっぱいあったけど)、マーケットとしてはそこそこ大きい。
かたや台湾は中国と並ぶ「世界の自転車工場」である一方、人口2300万人でマーケットとしては大きくない。

ので、客層も違うしコンテンツも違う。
サイクルモードの客層は日本人のエンドユーザーがメインで、試乗コーナーとか有名人のトークショーとかエンドユーザー向けコンテンツが充実してる。開催期間も金土日。

台北ショーの客層は欧米はじめ雑多な国のバイヤーがメイン。エンドユーザー向けコンテンツはほとんどないかわりに、どの企業もブースの裏手や二階に商談コーナーを作ってがっちり営業にいそしんでる(出展代金は面積で決まるから、ブースを二階建てにして上に商談スペースを作れば安く上がるわけ)。開催期間は水木金土。

僕は三回目の参加だけど、最近はやっぱり電動アシストが熱い様子。
バッテリーもモーターも小型化が進んで、形状もだいぶ自由に作れるようになり、「いかに電動アシストぽく見えないか」がかなり進んできた感じ。
日本は電動アシスト車の規制が厳しくて、海外メーカーもあまり積極的に日本に進出してこない。ガラパゴス化の予感。

写真貼っときます。

会場の南港エキジビションホール。


中に入るとブースいっぱい。


デザインアワードは毎年やってる。今年の入賞作の一つ。


進化著しい電動アシスト自転車。ダウンチューブにバッテリーを埋め込んだタイプ。


同じく電動アシスト。こちらはシートポストにバッテリーが。


GIANTの電動アシスト車。見た目は野暮ったいけどチューブに埋め込むより交換は楽かも。


シートポストにモーターを埋め込んだ電動アシスト車。よく考えるもんだね。


もちろん折りたたみ車もチェック。でも最近は大きなイノベーションはないね。やはりirukaが待たれるw


おまけ。台北市内。スクーターだらけ。みんな自転車乗ろうよ。


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冒頭の写真は台北市街の密林的街路樹。やはり熱帯の国なのだ。


2012年3月2日金曜日

拡散する前に考えよう


武田邦彦・中部大学教授が被災地瓦礫の受入に反対して書かれたブログが、Twitterなどで結構な勢いで拡散していました。

原発の話題についてはもうブログは書くまいと思っていたのですが、あまりのトンデモぶりにこれはスルーできないと思い、以下謹んでツッコミます。

武田先生は、瓦礫の持ち出しは汚染を全国に広げるとして、以下のようにおっしゃっています。

(引用ここから)
汚染の可能性
放射能の量としては、1キロ8000ベクレルが基準値なので、2300万トンでは拡散量は約200兆ベクレルになり、日本人ひとりあたり150万ベクレルに相当する。これは1キロ40ベクレルというまともな食材汚染の限界から言うと一人あたり37年間、汚染された食事をすることを意味する。

(引用終わり)

瓦礫1kgあたり汚染8000Bq × 瓦礫総量2300万t = 全国に拡散する汚染総量 約200兆Bq
200兆Bq ÷ 日本の人口1.3億人 = 150万Bq/人
150万Bq/人 = 1kgあたり40Bqの汚染食品を2.8kg × 365日 × 37年食べ続けるのと同じ

という計算をされているわけですね。
勘違いなのか故意なのかわかりませんが、ここには以下3つの根本的な間違いがあります。

瓦礫1kgあたり汚染8000ベクレル
8000ベクレルという数値は、政府が「1kgあたり8000ベクレル以下の『焼却灰』なら埋め立てていいよ」と言っている基準値であり、実際の汚染度でもなければ、そもそも『焼却前の瓦礫そのもの』に関わる基準値でもありません。
受入側の多くの自治体は「1kgあたり100ベクレル以下の瓦礫」を受入基準としていますが、実際の汚染度は、例えば静岡県島田市が「岩手の瓦礫を調べたら1kgあたり15ベクレルでした」と発表したのに対し、瓦礫受入反対派の方が陸前高田の瓦礫を計測して「1kgあたり41ベクレルも汚染してる!」と懸念を示しているくらいのレベルです。
100ベクレルとしても・・・8000ベクレルの80分の1ですね。

瓦礫総量2300万トン
被災地の外で処理されるのは、全瓦礫の2割だそうです。武田先生もブログの前段でそう強調されているのですが、なぜか後段では「全ての瓦礫が日本全国に拡散する」として計算しています。

一人あたり150万ベクレル→1kgあたり40ベクレルの汚染食品を37年食べ続けるのと同じ
先生、瓦礫食べちゃってますよね?瓦礫って各家庭に配られるわけじゃないですよね?しかるべき場所に集めて埋め立てられるわけですよね?
もちろん、放射性物質が空中に舞って呼吸で体内に入ったり、焼却灰が雨に溶けて飲料水として飲んじゃった、みたいな懸念はあるでしょうが、食べるのとはわけが違います。

というわけで、より正確に書きなおすとこうなります。

瓦礫1kgあたり汚染100Bq(多くの県の受入基準上限) × 瓦礫総量2300万t × 20%(被災地外での処理率)= 全国に拡散する汚染総量の上限 4600億Bq
→受入上限値を用いても武田先生の計算の400分の1。実際は1000分の1を下回るでしょう。

瓦礫は各家庭に配られるわけではないので、国民一人あたりを計算しても意味はないですが、参考までに1.3億人で割ると1人あたり3500ベクレル。

瓦礫は食べるわけではないので、食品に換算しても意味はないですが、参考までに3500ベクレルのセシウム137が付着した瓦礫をまるごと食べたとしても、内部被曝の総量は45マイクロシーベルト(= 0.045ミリシーベルト)。
いや、本当に意味がないですが、武田先生の論法に沿って計算してみただけですので悪しからず。
*ベクレルとシーベルトの換算はこちらのサイトを使いました。

僕は瓦礫受入は被災地の早期復興のために早急に進めるべきと思っていますが、安全と考えるか危険と考えるかは主観ですから、反対だという人ももちろんいらっしゃるでしょう。
異なる考えがあるのは当然ですし、それでよいと思います。

ただ、これだけは主張したい。
武田先生の発言に限りませんが(武田先生については特に注意が必要ですが...)、この種の情報は、安易に拡散する前にいったん自分の頭で正しいかどうか考えてみませんか?
これくらい、ググって電卓を叩けばすぐ検証できるんですから。

僕のこのブログも、拡散前にまずご自分で検証をお願いしますねw

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他にも先生はブログ中に「瓦礫の量は阪神大震災とさほど変わらないのに、なぜ今回は被災地の外に持ち出すのか」「瓦礫の処理費用単価が阪神のときより3倍高い。根拠なく不当だ」などと書かれています。しかし、阪神でも千葉や岡山など他県が処理に協力していますし、コストについては海水の塩分洗浄や放射線検査の費用が余分にかかる上に被災地域が広汎なため搬出コストも高いという説明が公式になされていますね。

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瓦礫受入に賛否あるのは理解できますが、例えば岩手県の釜石市や宮古市から福島第一原発までの距離は、東京からの距離とほぼ同じくらいであることは知っておいた方がよいと思います。

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写真はフィリピン、サンジュアンにて。カラフルな漁船。


2012年2月19日日曜日

英語合宿と非連続な成長


フィリピン・セブ島でのラングリッチ英語合宿を終えました。
楽しかった&行ってよかった。心から。

合宿生活自体も楽しかったけど、英語学習についても期待していた成果は得たと思ってます。

ただ、めざす英語レベルを10とすると、合宿前は3で合宿後は4、という感じ。
つまり、まだまだ満足いくレベルではないけど着実に進歩はした、逆に言うと、進歩はしたけどゴールは遠い、というのが現状。

同じ日に合宿を終えた大学生とセブからマニラまで同じ便になり、3時間近いディレイもあって待ってる間にいろんな話をした。
オプト時代のことも話題になって、聞かれて話しているうちに「成長というのは非連続なのだ」ということを改めて思った。

というのは、オプトの場合、創業から5年ずつ区切ると、5年目の年商が3億円だったのが、10年目は年商100億円になっていた、ということを思い出したから。

オプトに明確な転機があったように、多くの会社、事業、スポーツ、勉強、あらゆる事柄に、ある点を越えたら一気に伸びる、ティッピングポイントとも言うべき不連続点があると思うのです。英語もしかり。

やっている間はあとどれくらいでティッピングポイントにたどり着くのかわからないし、永遠にたどり着かないことも多々あるわけで、要するに何かに秀でるために努力するという行為自体とてもタフなんだけど、やり続けないことにはどうにもならない。
ああ、これ、この前Perfumeで思ったのと同じだな。

思えばオプトの最初の5年というのは、面白かったけどきつかった。
このままパッとしないまま終わったらどうしよう、みたいなこともたまに思った。
辞めようとは一度も思わなかっし、根拠なく自信もあったけど、まあ楽な時期ではなかった。
そんな余計なことも思いだしてしまったよw

ともあれ、ラングリッチ英語合宿、おすすめです。

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波乗りしてから帰国しようと思い、ルソン島(首都マニラのある島)北西部ラウニオン州のサンジュアンという海沿いの小さな町に滞在中。ホテルの前がビーチ。写真はビーチの看板。


2012年2月12日日曜日

アラフォー以下の日本人が英語を学ぶべきただ一つの決定的理由



今回もフィリピンのラングリッチ英語合宿からお届けします。

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日本は、2050年には65才以上の高齢者人口が総人口の40%を超えるという、世界に類を見ない、人類史上空前の、超高齢化社会を迎えます。

そうなると、年金システムが破綻するのは当然ですが(破綻しないと考える方がおかしい)、同じく、もしかしたらそれ以上に深刻なのが、高齢者を介護するケアワーカーが圧倒的に、もう死ぬほど圧倒的に不足することです。

高齢者比率が23%の現在ですら、介護業界の人手は慢性的に不足しています。
それが40%にまで上がったらどうなるか、考えるだけで恐ろしくなります。

現在42才の僕は、2050年にはちょうど80才。
まさに介護が必要かもしれない年齢に突入します。
ワーカーが足りないのでオムツを換えたいのに換えられない、もう2週間もお風呂に入っていない、そんな老後はできれば避けたいので、何か対策を考えねばなりません。

日本人の若年人口を短期間で増やすことは不可能ですから、おそらく方法はひとつしかないでしょう。

外国人就労者を増やすことです。

僕が今滞在しているフィリピンをはじめとしたASEAN諸国には、日本で働きたいと言う人たちが、ありがたいことに今のところまだ多くいます。

障害は2つ、ビザとコミュニケーションです。

ビザについては発行条件を緩和するだけですから大したことはありません。
より本質的な問題は、コミュニケーションです。

例えばフィリピン人ケアワーカーとのコミュニケーションを考えると、選択肢は3つあります。

1. フィリピン人が日本語を話す
2. 日本人がタガログ語を話す
3. 双方が英語を話す

フィリピンの人たちは小学校から英語を勉強しているので、特に高等教育を受けていない人でも、ほぼ100%英語を話します。
日本人は英語に苦手意識をもっていますが、ほとんどの人が6〜10年の英語教育を受けており、英語を話す素地は十分あります。

どの選択肢が現実的か、というか、どの選択肢しかありえないか、答えは明らかですね。

「金を払うのはオレなんだから、外国人ワーカーが日本語を話すべき」と考える人もいるでしょう。
しかし、それは極めてナイーブな考え方です。

同じ頃、中国や韓国など多くの国々が、日本と同じく高齢者比率30%を超える高齢国家になっています。
つまり、21世紀半ばの日本は、ASEAN諸国の人たちの労働力を他の国々と奪い合わねばならない、より正確に言えば、どうすればASEAN諸国の人たちが「他の国ではなく日本に来ていただけるのか」知恵を絞って競わねばならない、ということです。

ちなみに現在、医療・介護分野を専攻しているフィリピン人大学生に人気の就職先は、シンガポール・香港・カナダ・オーストラリアです。
ビザが取りやすい上に、英語で仕事ができて、英語で生活できるからです。
日本はどう?と聞くと「英語通じないんでしょ」と半笑いされます。

今フィリピンには大量の韓国人留学生が英語を学びに来ています。
中国も英語の授業を小学3年生から取り入れました。

たぶん競争はもう始まっています。
そして日本は・・・残念ながら出遅れています。

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写真はフィリピンのマクタン島にて。真っ青なヒトデを発見したのだが、コイツ本当に生物か。


2012年2月11日土曜日

セブ、英語、そして鼻毛


セブのラングリッチ英語合宿に来て1週間たちました。

フィリピンは初めてですが(32カ国目の旅先です)、気候は良いし食べ物もおいしいし、気に入ってます。

ただ、セブシティは排気ガスで空気が汚いためか、鼻毛がやたら伸びる。
ラングリッチに来る人は鼻毛用のハサミを持参するべき。
ていうか鼻毛を伸ばしたい人はラングリッチに来るべき。君の願いはきっとかなう。

肝心の英語は、まあ毎日7時間話してるので、進歩してると思ってます。

春休みシーズンだからか、約30人の生徒のうち3分の2は大学生。
社会人の人たちに話を聞くと無職状態の人が多くて、日本の不況もますますもって絶賛悪化中なのかと心配になってしまったが、考えてみたら当たり前だった。
そもそも留学できる環境にある人=転職の狭間などでたまたま無職状態にある人が集まってるわけですね。
中には留学する期間を確保するために会社を辞めた、という人もいる。
日本で普通に会社勤めしてたら、何週間も会社を休んで語学留学するなんてほとんど無理だもんね。

逆に、日本の会社は、社員に英語を学ばせたいなら、日本で英会話スクールの学費を補助したり会社に英語講師を招いたりするより、海外に短期留学させることをスタンダートにした方が良いのではないか。
日本で週1回だけ2〜3時間の勉強を何年間も続けるより、海外で一日英語漬けの生活を1ヶ月間集中して送る方が進歩が速くて大きい、と実感として思います。

その点、フィリピンは様々な点で企業にとって現実的な派遣先でしょう。
コストは安いし、時差もないから授業が終わればスカイプで日本と普通に会議もできる。
ラングリッチさんもローシーズン対策のひとつとして企業に提案に行ってみたらどうかと思った。楽天とか。

残り1週間、楽しみたいと思います。

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Lang8というソーシャル語学習得サイトの創業オーナーが生徒として来ていて、半年近く滞在すると言う。
クラウド環境を利用して一人でサイトを運営し、アドセンスと有料会員の会費を収入として、フィリピンで英語を学びながら生活している。
インターネット万歳。クラウド万歳。
働き方・生き方のバリエーションが増えるのはすばらしい。

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写真は合宿所近くに咲いてた花。なんてことないけど熱帯ぽい。


2012年2月6日月曜日

フィリピン英語合宿に来てます


ラングリッチという英会話スクールの英語合宿に参加するため、昨日から相方とフィリピンはセブ島に来ています。

ネカフェの個室くらいのスペースでマンツーマンレッスンを一日6時間×2週間。

これまでもスカイプ英会話などは細々と続けていて、中国人とは拙いながらも英語で商談してましたが、irukaで欧米中心に世界展開を図りたい僕としては今のレベルだとネイティブ&準ネイティブの人たちとのコミュニケーションはキツいなと思い、短期集中でやってみようかなと。

いや、irukaはまだできてないけど、備えあれば憂いなしって言うじゃないですか。
それに相方が年末に会社をやめて、僕も中国側の作業待ちで暇でしてw
ああ暇だよ暇ですよ暇ですとも文句あっか。

と若干キレ気味&学習意欲ガン上がりで乗り込んだところ初日に割と大きな地震があり、日本人からすると大したことないんだけどフィリピンは地震が少ないので現地スタッフが動揺してしまい、いきなり午後の授業が中止になるという波乱含みのスタート。
んで暇なのでブログ書いてるというw

生徒は日本人ばかり30人ほど、地下の食堂でみんな一緒に食事したり、若い人が多くてまさに合宿という雰囲気。

楽しんで学びたいと思います。
あ、終わったらついでにルソン島北部のラウニオンというエリアで波乗りして帰ります。

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写真は合宿所近くの家の表札。こちらはクリスチャンが多い。

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2/6夜追記:地震は滞在地セブでは大したことなかったものの、震源地近くでは土砂崩れで死者が40人以上、相当数の行方不明者が出ているとのこと。亡くなられた方のご冥福と、一人でも多くの方の安全をお祈りいたします。