2011年8月22日月曜日

My グロービッシュ


中国の工場でのコミュニケーションは基本的に英語。
前回行ったY社工場には一人だけ日本語がわかるマネージャーがいたが、日本語で話しても結局他の参加者向けに英語か中国語でもう一度訳す必要があるので、英語の方が便利。

などと書くといかにも僕がバイリンガルのようだが、残念ながら事実は違うw
中国に行くようになってから、レアジョブなどで泥縄式に英会話強化にいそしんでいるところ。

日本人は英会話に関してもメンツを重んじる国民だと言われる。
確かに書店に行くと「ネイティブと思われる英語」とか「ネイティブに笑われない英語」みたいな、言語の本質的な目的である「コミュニケーションをいかに成立させるか」よりも、いかにメンツを取り繕うかにフォーカスした英語本が並んでいたりして、おもしろい。よく考えるとネイティブと勘違いされた方が逆に不利なのにね。

といいながら実は僕も割とそのケがあったんだけど、中国に行くようになってから完全に変わった。
ネイティブぽい言い回しを知っていても、ノンネイティブ同士の会話では逆に意味が通じにくくなることが多いし、それがかっこいい言い方かどうかもお互いわからない。
今はコミュニケーションを正確に成り立たせることに100%集中して、簡単で誤解されにくい単語/言い回しを使うこと、とにかくゆっくり話すこと、できるだけ短い文章で一文ごとに相手の理解を確認しながら進めること、を心がけている。

例えば前回、パーツの選定の話をしていて

We won't use these parts on the next prototype.

みたいなことを言ったところ、どうも話が噛み合わない。
確認してみると、相手は won't を want だと勘違いして真逆の意味に捉えていた、なんてことがあった(want は want to だろって?だから相手は僕が間違えて to を落としたと思ってるわけ。彼らも前置詞とか冠詞なんてバンバン落とすから)。

英語が得意な人同士では考えられないだろうけど、まあ僕と中国人の間ではこんなことが頻繁に起こる。
もどかしくもあるが、それでもやはり、直接コミュニケーションできるというのは良いものです。
将来雇う株式会社イルカ社員は、英語、というかグロービッシュ必須。

日本人と英語に関してはいろいろと思うところがあるけど、とりあえず今日は won't より will not か don't の方が誤解がなくて良い、という低レベルの教訓でエントリを終えたいと思うw

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レアジョブというのは、フィリピン人講師とスカイプで話す英会話サービスの一つ。月5000円で毎日30分話し放題。
さらに安い後発会社も出てきているようだけど、「日本人1000万人が英語を話せるようにする」という企業ビジョンのファンなので、よほどのことがない限り使い続けるつもり。
ただ、ウェブサイトが絶望的にダサいのはユーザーとしてもファンとしても何とかしていただきたいw

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写真は御宿にて。夏空。


2011年8月17日水曜日

製造業、西回りの長き旅路


先週行った常州のY社工場はとにかく巨大だったが、さらに印象的だったのが「若い工員が多い」ということ。

若い、というのは10代。

もちろん大人の工員も数多くいて、溶接やホイール組などの工程ではいかにも「熟練」といった感じのベテラン工員が多いが、デカール貼りなどいわゆる単純作業の工程は大多数が10代の工員で占められている。

15〜19才の人口は、日本が300万人に対して中国は1億人。
高校進学率は、日本が95%に対して中国は40%強。

15〜19才の非就学人口をざっくり計算すると

 日本=300万人×(1−0.95)=15万人
 中国=1億人×(1−0.40)=6000万人

その差なんと400倍。

「世界の工場」たる中国を支えているのは、(言い方はあまり良くないけど)安価かつ豊富な労働力なのだと実感する。

日本で高校進学率が40%台だったのは1950年代の前半。つまり高度成長期が始まった頃。
その後、経済成長とともに高校進学率も年々高まって1970年代半ばには90%台に達し、以降は高度成長の終焉とともに横ばいが続いている。

つまるところ高度成長期というのは第一次産業から工業への労働力シフト(=地方から都市への人口移動)であって、都市への人口移動が落ち着き高学歴化が進むことで労働力の増加ペースが落ちると、あとは知識集約型の産業モデルにシフトしていかないと経済成長も止まるという、それってつまり今の日本だよね、という話になってしまう。

中国も一人っ子政策で急速な高齢化が予想されている上に、都市部では高校進学率が7割を超えるなど成長期の日本と同じく高学歴化が進みつつある。
アメリカの大学・大学院への留学者数が、日本人は2万人強なのに対し、中国人は15万人近くまで増えているそうで、高学歴志向は日本以上かもしれない。

となると、「世界の工場」の役割がリレーのバトンのようにイギリスからアメリカ、日本、そして中国へと西回りで移動しているように、いずれその役割は中国からベトナムやインド、そして中東、アフリカへと移って行くのだろう。
西回りが世界を一周してヨーロッパに戻る頃には、世界はどうなっているのかな。

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写真は常州の自転車工場にて、溶接と塗装を終えて組み立てを待つフレームたち。


2011年8月16日火曜日

試作第三弾スタート


先週日曜、中国でのiruka試作第三弾ミーティングに向かおうと成田に着いたら、上海の台風でまさかの欠航。
振替便も満席だったが、空港でMacを開いて格安航空券サイトからチケットを取りなおし(インターネット万歳)、水曜の便で中国に飛ぶことができた。

ミーティングは生産的だったけど、実はミーティングそのものに至るまでいろいろありw
試作第三弾は、第二弾を作った江蘇省・太倉市の工場ではなく、常州市にある台湾資本の工場Y社で進めている。

太倉市の工場の経営体制が変わって不都合が出てきたため、プロジェクトの窓口であった台湾企業W社(太倉市の工場に同居して営業マーケ部門を請け負っていた)が新たにY社を製造委託先としてアレンジした、というわけ。

Y社は欧米ブランドを中心に年間300万台の自転車を製造する指折りのOEMメーカーであるとともに、自社ブランドで某メジャー折りたたみ自転車も展開している。
自転車業界人曰く新参ブランドがOEMを打診しても通常は相手にされないそうだが、今回はW社社長の父親とY社社長が親しいため受けてもらえることになったらしい(中国人は我々が思っているよりもはるかに人間関係を重んじるように思う)。
さらに欧米の販路や知財管理の実績(早く言えば中国の違法コピー品対策)も豊富にあるなど、製造のみならず販売のパートナーとしても心強い。

一方で、引く手あまたの巨大工場なので、ロットが大きいとは言えないirukaの生産にどれだけ注力してもらえるかなど、課題もある。

良い方向に進んでいるけど、まだそう簡単にはいかないと思っている。
というか、そう簡単にはいかないと思っておいた方が良いということを知っている、という感じか。

これまで見た中でケタ違いに大きかったY社工場の写真をどうぞ。











やはり入り口には巨大な壺が。お約束。


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冒頭の写真は安曇野・烏川渓谷にて、ヤマアジサイ。


2011年8月8日月曜日

工業製品と美しさ


愛用のiPodクラシックに、ガタがきはじめた。

箱状のステンレス部に、前面のアルミ部カバーが嵌めこまれているわけだが、嵌め込みがゆるんできたのか、アルミ部が浮いて隙間ができている。

ネジや溶接を使わずに組み立ててある分すっきりして美しいが、圧入してあるだけなのでステンレス部の外縁が少しへたるだけで嵌め込みがゆるんでしまうのだ。
買ってからちょうど1年だから、ちょっと早いよね。



これは非常に重要な示唆で、工業製品において、美しさと強さを両立するのは簡単ではない、時としてトレードオフであるということ。

自転車も溶接やネジ止めを使わずに組み立てることができたらだいぶ印象が変わるはずだけど、現時点では技術的に無理。
irukaは主にアルミチューブを溶接してフレームを作るので、量産時には特にビード(溶接痕)をどこまで処理するかが強度・コストと美しさの見合いで重要な判断になってくる。

まあ、量産前にまずは試作第三弾。
今日は本来中国の工場でミーティングしているはずが、台風で出発便が飛ばずリスケになったので暇ですw

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僕はAppleの犬なので、逆に新モデルが出たら悩まず買える理由ができてうれしかったりするw 倒錯してるなあ。

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冒頭の写真は御宿・岩船海岸に至る隧道出口。鎌倉の切り通しみたいでなかなかの風情。


2011年8月6日土曜日

明日から中国


明日8/7より三日間、中国へ。
試作第三弾の打ち合わせのため、irukaとして延べ7回目の訪中です。

訪問地の常州はブリヂストンサイクルの工場があったり、自転車製造の一大集積地。
上海に飛んで、太倉で一泊してから向かいます。
実は中国の製造委託先で経営の変更があり、今回は仕切りなおし的なところもある。

ほぼまとまっている試作第三弾の設計データは、自分で言うのも何だが、非常にいい感じ。
次の試作の出来がよければいよいよ量産。

いっちょ進めてきたいと思います。

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写真は御宿・岩船海岸。
ブルースカイブルー。

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8/7追記:台風の影響で上海便が欠航になり、8/10出発に変更になりました。おかげで日曜は自宅・成田間を往復して日が暮れるという素敵な休日になりました。