2011年3月14日月曜日

3月11日、自転車


東北太平洋沖地震で亡くなられた方のご冥福を、未だ安否不明のみなさんの一人でも多くの無事を、被災された方々の安全と健康を、心からお祈りします。

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被害などと言うのは全くもっておこがましいが、東京でも3月11日が、異様な、混乱した一日であったことは間違いない。

夕方、Twitterに刻々と東京の交通状況がアップされていく。曰く、
「鉄道は全線止まっている」
「タクシーは一台もつかまらない」
「バス乗り場に長蛇の列ができている、そもそもバスが来ない」
「渋滞で車はまったく進んでいない」

僕はいつもどおり自転車だったので良いが、新橋で働く妻の帰りの足がない。
勤務先から目白の自宅まで約10km。
もちろん歩けない距離ではないが、この状況で離れ離れになるのも心もとない。

会社の一階で待つよう妻にメールし、通勤に使っているダホンとオフィスに研究用に置いてあったブロンプトン、2台の自転車を引いてオフィスを出た。

246は既に大渋滞、夕闇に光る赤いテールランプの列がオームの群れのようだ。
歩道も歩いて帰宅する人で溢れかえっている。

赤坂見附方面に向かって歩く若い男性に声をかける。
「歩いて帰るなら、赤坂見附まで自転車に乗っていってもらえませんか」
日暮里まで歩くというその男性は、助かると言って快諾してくれた。
僕がダホンに、彼がブロンプトンに乗り、渋滞の車の列をぬって246を走る。

赤坂見附でお礼を言い合って別れ、新橋方向へのタクシー乗り場で最後尾にいた同年代の男性に声をかける。
品川まで帰るというその男性も「自転車なんて何年ぶりかな」と不安そうにしながらも快諾してくれる。
10分ほどで新橋に到着。
「こんなに早く新橋まで来れるなんて」という感謝の言葉をいただいた。

会社の前で妻と落ち合い、今度は彼女がブロンプトンに乗る。
日比谷通りから丸の内大手町を経由して新目白通りを北上、20時には二人そろって帰宅できた。

確信したこと:自転車はやはりすごい。

幅60cmの空間さえあれば進むことができる。
ガソリンや電気がなくても動く。
誰でも(子供や老人でも、二人目の男性のように何年も乗っていなくても)乗ることができる。

今回の東京のような状況下でも、おそらく被災地でも、個人の移動手段としては最強ではないだろうか。
今日も停電の影響で自転車通勤者がにわかに増えているようだが、企業にとって一定の自転車通勤者がいることはリスク管理の観点からプラスだし、会社に自転車を常備しておくことも有効だろう。
全社員分の台数はとても無理としても、十台単位で常備しておいて、非常時には保育園などに子供を迎えに行く社員や家に病人がいる社員に優先的に貸し出せばどれだけ助かるか。平常時は営業マンの移動に使ってもよいし。

意を新たにしました。
irukaを世に出すことで、ビジネスの側から、自転車がより活用される社会づくりに貢献していきます。

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無事帰宅したものの、よりによって三陸の海沿いの水産研究所という最悪の場所に勤める親友がおり、連絡がとれず気が気ではなかった。
が、彼の実家に電話すること数度、夜半すぎに本人から母親に無事を知らせるメールが入ったと聞く。
また、長く一緒に働いたオプト社員の親御さんが女川で消息不明と聞いて胸しめつけられる思いだったが、つい先ほど無事であったと判明。
他の多くの安否不明のみなさんには申し訳ないが、一言だけ良かったと言わせてください。

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写真は前回中国出張で行ったレストランにて。1週間前のことなのに何年もたっているように感じる。


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