2008年8月6日水曜日

さらば小林アパート


日本でもGoogleマップストリートビューが始まりましたね

見始めると面白くて止まらず、いやーすげーGoogleすげーとお約束で現在の自宅や昔住んでいたアパートなどを歴訪していると、ショックな事実が発覚。
オプト創業時代に住んでいた柿の木坂のアパートがなくなり、こじゃれた家に変わっている。
以下はオプト卒業時に社内ブログに書いたエントリの転載。

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1995年3月、僕は社長に続く2人目の社員としてオプト(当時の社名は有限会社デカレッグス)に入社した。
1年くらいは給与を出せないだろうと思っていたので(実際には3ヶ月後に出すことになったが)、できるだけ安いアパートを探す必要があった。
そこで引っ越したのが、学芸大学徒歩15分、6畳一間、共同トイレ、共同玄関、共同シャワー(風呂じゃないよ)、ガスコンロあれども(一口だけ)換気扇なし、家賃4.4万円という物件。

偶然にも、名を小林アパートという。

1階の玄関を開けると、共同トイレのドアをはさみ、左右に一つずつ部屋がある。
左が僕の部屋、右にはバルア君というバングラデシュ人の留学生が住んでいた(ちなみに2階の二部屋は韓国人とイラン人だった)。
このバルア君、たまに故国のカレーを作って分けてくれたりしたが、日本語がちょっと信じられないくらい上手だった。
1995年はオウム真理教の地下鉄サリン事件があった年だ。
バルア君はオウムについてこう語った。

「マサキさん(彼は僕をこう呼んだ)、オウムってハンパないよね」

僕はこのアパートに2年間住んだが、その間もバルア君の日本語上達はとどまるところを知らなかった。
ある日の深夜、寝入りかけてウトウトしていると、バルア君が帰ってきた。
どうもかなり酔っているらしく、彼は玄関を開けるとそのままトイレに入ってゲーゲー嘔吐し始めた。
ひとしきり吐き終わると、彼はつぶやいた。

「はあーー マジかよ」

繰り返すが、彼はバングラデシュ人である。

先日、近くに行ったついでに小林アパートに寄ってみた。
入り口脇の郵便受けを見ると、なんとバルア君の名前があった。
当時と違うのは、彼の部屋が1階から2階に移っていたこと。

昇格したのだ。

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僕にとって思い出深いアパートでした。
バルア君、どこ行ったかな。
写真は今のオフィス近く、ストリートビューインスパイアな感じで。
夏です。


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